もうフルトヴェングラーっ子とは云わせない。バレンボイム指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団のブラームス4番(4)
神経系の体調不良と聞いて、すぐ思い出したのがコロナ後遺症の強い倦怠感だ。これで指揮者活動が閉ざされることになったか。バッハに『甘き死』というカンタータがある。不条理な死も、これで良しという感慨がある。何一つ良いことのなかった人生も、そんな人生をもう生きなくて良いとしたら、死は麗し。
指揮者ノイマンはチェコ・フィルを定年退職したら、年金生活に入り、二度とタクトを持たなかった。仕事で指揮者になったわけだが、好きな訳ではなかった。100人の得体の知れない連中を相手にして、正反対の意見に挟まれて、統率を図る。心労ばかり多き仕事だったか。(マーラー指揮者としては傑出していた。)
第四楽章。
191-192小節のテインパニで、クレッシェンドが印刷されているのだが、まあ気にした演奏は皆無だが、最後のクレッシェンドの頭の三連音符に、バレンボイムはffで強調しているのが注目される。
4つ目の2つにffを打たせたと、した。が、実際の音は3つ目の2つの後半1つもffで打たせている気がする。そしてその意図は半信半疑だ。
何故こんな複雑且つ困難な演奏をするか。その点でも疑問である。
この複雑且つ困難な演奏をさせるバレンボイムに円熟の境地は感じる。以前のバレンボイムは平板で単純な人なのだ。友人にザイードという思想家がいて、アラブ人とユダヤ人との統合を思索した。とても単純に両者の統合平和など出て来るものではない。物事は複雑である。複雑の中に対立は融合されているとも言えなくはない。そこで敢えて難しく演奏するのだろう。
なぜ3つffで打たせるのか。難儀だから。ザイード哲学の影響だろう。
ちなみにバーンスタインは、192小節からfにしている。
252小節のテインパニで、バーンスタインとバレンボイムがクレッシエンドしている。
そこからすると結構バレンボイムはバーンスタインの影響も受けていることになる。
249-250で凄いことをしているのがシューリヒトだ。テヌートをかけつつクレッシェンドを掛けた。
ともかくバレンボイムが複雑な人になったのは確かだ。
余談だが、荒井秘書官が物議を醸している。武満徹にアメリカ青年が、ニューヨークでは部屋にユダヤ人がいないと見るとユダヤ人の悪口を言い出すのだと泣いて訴えたという。内面の人種差別は許されるが、公の人種差別は許されないということ。荒井秘書官は内輪で差別発言をすべきだった。記者がいる首相官邸の個室は公で、公的の人種差別は許されなかった。