続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

アカデミー賞受賞の『オッペンハイマー』とバービー人形

映画『オッペンハイマー』と映画『バービー人形』が同時期に公開されて2つとも大ヒットした。アメリカの観客は2つは同じと判断したという。2つは男の物語・女の物語で、アメリカの代表的なインテリ男・白痴美人かつ1960年代のアメリカンである。そういえばケネディ大統領と女優マリリン・モンローではないか。


監督は違うので単なる偶然の一致である。しかしそれを楽しむのがアメリカ人だ。アメリカの観客は監督の意図とは別に2つの違う映画を並べて楽しんでいる。マリリン・モンローは白痴美人の典型で、体格は良いが頭の中は空っぽである。今のジエンダー平等からすると女性蔑視である。女は頭でなく体だよ。しかしアメリカ人の根底にはそういう女性蔑視がある。


他方、オッペンハイマーはバービー人形の男版だと見立てたというのだ。恋人同士のボーイフレンドというわけだ。この見立ての意味を解せば、オッペンハイマーはインテリの最高峰だが、知識で武装した中味はマリリン・モンローの頭の中の空っぽと同じいうわけだ。インテリの最高峰の男の頭脳が白痴美人のマリリン・モンローの頭脳と同じと軽蔑しているらしい。そういえばダイアナ妃の脳みそはカナリヤの脳みそしかないと揶揄されたことがある。英国王室の複雑な関係を生きるには、さえずるだけのカナリヤには無理があったというのだ。日常生活が出来ない人と言いたいらしい。オッペンハイマーは優秀な頭脳らしいが、まるきし日常生活の知恵が無かったらしかった。白痴の男女ということらしい。



余談だが、ブルックナー・ブームの頃は楽譜の問題がやかましく議論された。やがてなんとなくノバーク版に収斂されて落ち着いた。ある人の話では、ノバーク版の出版社はウィーン・フィルがオーナーで、それでハース版は駆逐されたのだという。この数年で、また楽譜の問題が蒸し返されて、やかましく議論され始めた。今回の議論はハース版もノバーク版も駄目で、それ以外の版が有望ということになった。


今の議論はノバーク版で定着したものが、ちゃぶ台返しされて、混乱に戻ったところで、ノバーク版以外に利があるとなった。予想外の面白い展開となった。2024年のブルック
ナー生誕200年は、第1稿1874年版か第3稿1888年版の二者一択の演奏になる予想である。


第3稿1888年版では、ギャラガン校訂版とコールスヴェット版の2種が出版されて、聴衆は二者択一を迫られることになった。CDの場合二枚買うことになり、演奏会では二枚チケットを買うことになり、ブルックナー・バブルである。さらに古い往年の名指揮者の演奏は正しかったとコールスヴェット版が評価を改変させた。第3稿の演奏が百花繚乱状態になった。面白くないわけがない。


あらゆる意味で第2稿1878・1880年ハース版ノバーク版を使用した指揮者の演奏が破産することとなった。第2稿と第3稿との対決で第2稿が惨敗した。


孤立無援であった第1稿の支持者は息を吹き返した。指揮者の世界では、今初稿版の録音がバブルになっている。


ブルックナーの4番の楽譜には3種あり、どれも長短があった。


(1)第1稿1874年     初稿版             作曲された時の楽譜


              ハース版            第3稿ー第2稿=
(2)第2稿1878|80年{
              ノバーク版           ハース版+etsetra=
   
(3)第3稿1888年     改訂版・改ちゅう版・レーヴェ版 第1稿+etsetra=
                                                 ギャラガン校訂版・コールスヴェット版


1 第2稿で、ハース版とノバーク版の抗争でノバーク版が勝利を収めた。
2 ブルックナーの弟子たちが勝手に師匠の楽譜に手を入れて、改悪したと噂された。
  往年の巨匠指揮者はこの楽譜を使用した。
  ギャラガンとコールスヴェットは、ピッコロやシンバルはブルックナーの承認済みで、  
  改悪ではなかった。弟子たりの加筆もブルックナーの承認があった。
  にわかに第3稿が再評価。


今評価に値するのは、第1稿と第3稿で、第2稿が没落した。


そういうわけで、往年の巨匠指揮者の古い演奏がにわかに問題になってきた。


と同時に孤立無援だった第1稿が注目されてきた。しかし第1次ブルックナー・ブーム期でも注目していた指揮者は意外にも多くいた。ブルックナー生誕200年の今年に新規参入してきた第1稿支持の新人指揮者と従来から第1稿を支持していた旧派の指揮者がいた。


第1稿を支持した指揮者に新旧の2派に分かれた理由は、旧派の指揮者はノバーク版の統一の飲み込まれて、結局はノバーク版を使用せざるをえなかったからだ。


ウィーン・フィルはカラヤンのような大物には無言だったが、ハース版は使用不可でノバーク版が使用された。それが洗礼になったのだろう。次第にノバーク版で使用されることになった。依然として第1稿の演奏は実験的で、従来の演奏に耳慣れた聴衆には違和感を持たれた。第1稿に固守したインバルは世間的には出世しなかったのも、そこに遠因があったのだろう。インバルの活動は呼び水にならなかった。むしろ出世の足かせになった。


第1稿指揮者の新派と旧派
新派
ロト指揮ギュルツェニッヒ管弦楽団
ナガノ指揮バイエルン国立管弦楽団
ヤング指揮ハンブルグ・フィル
シャラー指揮フィルハーモニ・フェスティバ
ラッセル=ディビス指揮リンツ・ブルックナー
ボッシュ指揮アーヘン交響楽団
*ほどんど一流オーケストラ一流指揮者でないところがミソである。下剋上が始まっている。新しい時代の新しい音楽は下剋上で始まる。2・26事件の将校たちの反乱なのだ。


旧派
インバル指揮フランクフルト放送交響楽団
ロペス=コボス指揮シンシナティー交響楽団
ノリントン指揮シュツットガルト放送交響楽団
ギーレン指揮南西ドイツ放送交響楽団
*2・26事件でいえば石原莞爾で、時代を動かす能力はあったが、実力がなかった面々だ。その上の将軍たち真崎甚三郎、荒木貞夫、林銑十郎、板垣征四郎といった面々が、カラヤン、ベーム、バーンスタイン、クライバーであるが、時代を代表するが時代を作る気がなかった。大いに余談だが、軍隊は世界中が親分子分の世界で、不利劣勢でも頑張ってクーデターが起こせる。軍人が親分子分関係だから頑張れる。香港時報など見て見ると習近平は将軍のクーデターを恐れて今親分子分の関係をずたずたに切ってクーデターを防いでいるという。それで中国軍隊は今使い物にならないと報道している。だから台湾攻撃はない。台湾を攻撃できたら、その前に習近平を軍隊が倒す。戦前の軍閥は今でも換骨奪胎していて生きていている。渋谷司などは軍隊の反乱を堂々と報道している。夜空が赤くなっているのは軍隊が爆撃しているからだ。東京大空襲みたいのが今中国国内で起っている。そこで2・26事件を想い出す。2・26事件の将軍たちは自ら親分子分の関係を切って保身をした。大将の次は男爵だ。青年将校の口車に乗って年金をパーにする気などない。水飲み百姓の子倅がたまたま優秀に生まれて頂点に君臨した将軍たち、川筋者の親分子分の契りで出世したわけではない。所詮安全パイでやってきた人間は一番危険を恐れる。一歩間違って晒し首になれるからクーデターが起こせる。2・26事件は最初から親分子分の軍人ではなく軍人官僚だから、成功しなかった。ハース版ノバーク版でやる指揮者にはブルックナー革命は起こせない。と、見ました。


第1稿の4番は全然普及しなかったので依然として耳新しく実験的な音がする。良しも悪くの4番の第1稿の課題となっている。無名のオーケストラ無名の指揮者に支持された第1稿1874年版は、確かに2・26事件の青年将校の感があり、音楽界にクーデターを起こす条件は揃っている。