続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

河上徹太郎

河上徹太郎といえば『日本のアウトサイダー』が代表作で、コリン・ウイルソンのパクリは明白である。さしたる傑作も残さなかった文芸評論家といったところか。だから遠山一行が大尊敬している聞くと、そんなところがあったかと懐疑的になる。 ところがこの人現代ロシア文学の『悪魔物語』が英米で話題になっていると、英訳で読んだというのだ。大正文学は、ピンからキリまでが英訳で海外文学を読んでいて、芥川龍之介から宇野浩…

大滝秀治恐るべし、ウェーバーのコンチェルトシュトック

ウェーバーのコンチェルトシュトック(小協奏曲)という曲がある。今もってポピュラーな曲になっていないが、名曲である。 何故かフランスのピアニストのカサドジュがお気に入りで、二度ばかり録音している。二度目の録音が1952年に、セル指揮クリーブランド管弦楽団で行われている。そのレコードの発売で、付録に楽譜が付いてきた。 その付録の楽譜の終わりに「大滝秀治」と楷書体でインク文字で署名されていた。これは神…

ベートーベン主義者内田義彦と宇野重吉

宇野重吉は自宅には誰も上げなかったという。完全なプライベートの世界で、そこに演劇人を上げる気にはならなかったらしい。奈良岡朋子や有馬稲子も上げなかった。 この人は大変な趣味人で、地方巡業で、楽屋でダイコンとイカの煮物をしていて焦してしまった。ダイコンが真っ黒に炭化して炭になった。「家に帰ってお茶でもいれたい」とティシュに包んで持ち帰ったという。茶道に使う炭のようになったダイコンが、あまりに似てい…

ブロムシュテット指揮ウィーン・フィルのブラームス交響曲4番

ブロムシュテットはこの交響曲をアンサンブルだけで聞かせるのかと危ぶんでいたが、第三楽章に突入するや期待通りの爆発を起こした。 第三楽章、298小節のホルンのコラールで、ブロムシュテットは突如変化球を投げ始めた。 298小節ではfpの記号が見えるが、ブロムシュテットはfで強奏すると、299小節からppの弱音に転じた。よほどfpより効果的であった。そして301小節のcrescでは mfの音に強め始め…

セレニテ(清純)の極みブロムシュテット指揮ウィーン・フィルのブルックナー4番

マルケビッチのマスターコースに出た時、子供のバレンボイムもいて相手にされなかったが、唯一ブロムシュテットだけがまともに扱ってくれた。このコースから有名になったのはこの二人だけで、今もって生きているという類稀な二人である。 この後の人生コースは光と影の雲泥の差があったが、長生きすることでどっこいどっこいの差になった。そういう誠実なブロムシュテットの人柄がブルックナーのこの交響曲に良く現れてもいただ…

アルティノグリュ指揮ウィーン・フィルのフランク交響曲

とうとうプロの指揮者にフルトベングラーの信奉者が現れた感がする。フルトベングラー指揮ウィーン・フィルによるフランク交響曲の音質の悪い録音があるが、ステレオで聞いている感がする。その場に立ち会えば、きっとこんな感覚で聞けたのではないか。 オーケストラは同じウィーン・フィルである。同じオーケストラでフルトベングラーの演奏解釈を再現することに、何のためらいもなく復元してみた。 果たして同じ感動が呼び出…

バーンスタインの秘蔵っ子オルソップ巨人で頭角を現す

バーンスタインがマリン・オルソップについて尋ねられて「そのうち出て来る」と答えたと言う。長い低迷の時期才能が危ぶられた時の答えだった。才気が発揮されるには長い醸造期間がかかった。天然醸造は発酵にかかるわけだ。 今は相手にされないが、やがて相手にされる。今それが来たことが明白になった。マリン・オルソップ指揮ウィーン放送交響楽団のマーラー交響曲1番巨人の演奏でずば抜けた才能を顕示したのである。 第二…

アカデミー賞の『クレッシェンド』・ゲルギェフ・クルレンツィス三題噺

本年度のアカデミー賞に『クレッシェンド』が受賞したが、日本のマスコミは全く取り上げなかった。指揮者バレンボイムがモデルになった。                   * ゲルギェフはロシアのウクライナ侵略でコテンパンにやられた。それだけプーチンの権力と金力がゲルギェフを作り上げたということか。 2月23日 24日  25日 3月2日 4日 5日ー15日 28日      4月 スカラ座  ウクラ…

エッシェンバッハ指揮NHK交響楽団マーラー交響曲5番

一般的に妻アルマとの愛に満ちた幸福な時期の交響曲だと言われている。それなのに第一楽章は葬送行進曲で縁起でもないわけだ。そこで結婚は人生の墓場だという格言があり、アルマとの結婚は人生の墓場だったのかなとも考えられる。しかしアルマと結婚してみれば、この交響曲の頂点であるアダージェット楽章で、濃密な愛が賛歌されて、アルマと結婚して間違いなしと述懐する。 この葬送行進曲は実はメンデルスゾーンの「無言歌集…

バイロイト音楽祭を訪れた日本人(11)吉田秀和

大物といえば吉田秀和が「バイロイト詣で」をしていたことを落としていた。小林秀雄が近代批評を確立した人といわれているが、文学と音楽を橋渡しして両義的な読者を確立した人が吉田秀和である。それまでは文学と音楽(クラシック)は別物で、読者は分かれていた。交流することもなかった。 吉田秀和は二十世紀音楽研究所所長として戦後の前衛音楽の開拓に腐心した人で、その普及に献身したひとであったが、最初は保守的な音楽…

マーラー編曲版でエッシェンバッハ指揮NHK交響楽団ベト7番白熱ライブ

マーラー編曲版といえばユーロフスキー指揮ベルリン放送交響楽団のベートーベン交響曲7番の来日公演の超名演があったはずだ。(2019年)エッシェンバッハの今夜のライブ、4楽章連結演奏だ。そこで思い出したのが、ユーロフスキーの来日公演が又連結演奏だったことだ。つまりマーラー編曲版そのものがマーラー指名の連結演奏ということだ。ユーロフスキーやエッシェンバッハの個人的な好みではないのだ。 第一楽章のマーラ…

追悼大町陽一郎指揮東京フィルのベト8番、プフイツナーを彷彿とした名演

ここで最高傑作はと問われれば、ブラームスのハンガリー舞曲5番の演奏ということになる。それはユーチューブで東大フォイヤーヴェルク管弦楽団の演奏で今だに見える。(2007年録音)何とNHK交響楽団のチェロの名手木越洋が弾いている。どういう関係なのだろう。(ちなみにチョンマゲおじさんが日本のチェロの最高峰木越洋だ。)これも見ものだろう。 この演奏はウィーン・フィルの音色の秘密は独特の奏法があることを発…

続々ウクライナ危機を音楽で考える。

映画『赤い闇』が3月ユーチューブで全編見られるようになった。これこそウクライナ危機のおさらいである。1929年の世界恐慌で世界中が不況になったのに、何故かロシアだけが繫栄している。 これは可笑しいと思ったイギリスのジャーナリストが、ロシアに行って謎を解明すると、謎を解く鍵はウクライナと言われる。そこでウクライナに行って見る。 これが映画の発端である。しかし問題の立て方が可笑しいだろう。同一労働同…

続ウクライナ危機を音楽で考える。

映画『スターリン狂騒曲』の冒頭に、ピアノ協奏曲の演奏会が出てくる。これは半ば実際の史実で、実際にこういう光景があったのである。この光景の演奏の録音が実際にあり、CDとして聞ける。この女流ピアニストはモスクワ音楽院でショスタコービッチと同級生で、このエピソードが『ショスタコービッチ回想録』に出てくる。 背中のピアニストはロシア最大の女流ピアニストのマリア・ユーディナ(1899-1970)で、指揮者…

『わが祖国』はウクライナかロシアか、プレトニョフの「モルダウ」

3月10日の演奏会というから3週間前の演奏会、ウクライナ危機の真っ最中の演奏会である。スメタナの交響詩『わが祖国』は古来より大国への小国の抵抗の意味がある。スメタナにとつての敵はハプスブルク帝国、今は小国ウクライナにとってはロシアである。ロシア人のプレトニョフは如何なる態度を取るか、興味津々である。 愛国者プレトニョフなら今この抵抗の音楽『わが祖国』は絶対演奏しないであろう。今こんな時局柄この音…

ウクライナ危機を音楽で考える。

ワインガルトナーはロシア人を理解するならラフマニノフのピアノ協奏曲2番を聞けばいいと言ったという。陰鬱で瞑想的な音楽がロシア人の感性を言い現わしているのかも知れない。しかしそれを聞いたからプーチンの内面が理解出来るとも思われない。                    * そこでもっと解りやすいものはないか。 ということで、ロルツィングのオペレッタ『皇帝と船大工』はどうだろうか。 皇帝はピヨトル…

謎が解けたメンゲルベルクのベートーベン交響曲8番

メンゲルベルクのベートーベン交響曲全集の8番の大胆な演奏に気づかなかった。その謎が解けました。戦前に8番の名演とされたSPレーコードが1938年11月9日録音で、ユーチューブで聞ける。実際に聞いて見たら、第一楽章103小節ダ・カーポは省略され楽譜通りの演奏であった。これを聞いていたわけだ。 メンゲルベルクのベートーベン交響曲8番の演奏には、1938年と1940年の2種があるわけだ。(正確にはター…

メンゲルベルクのベートーベン交響曲8番

1940年4月メンベルベルクはアムステルダムでベートーベン交響曲全曲演奏会を開催した。その中の交響曲8番の演奏であるが、以前にも聞いた覚えがあるのだが、全く忘れていた事に気づいて愕然とした。あるいは浅学のため以前は全く気が付かなかったのかも知れない。 不覚といおうか、馬鹿であった。 第一楽章、104小節の反復(ダ・カーポ)の箇所のメンゲルベルクの驚異の解釈だ。そこに気が付かない訳がないのだが、聞…