続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

バーメルト指揮札幌交響楽団のシューベルト8番第二楽章2

メインカルチャーが揺らいでいる時、注目されるのがサブカルチャーの存在である。バーメルトはサブカルチャーに注目した演奏をこの第二楽章で演奏している。 80小節の続き、83小節のクラリネット、85小節のオーボエと歌い継がれる旋律に、84小節のチエロで突如として別の旋律が聞こえる。これがサブカルチャーだ。 97小節のクラリネットがソロで主旋律を演奏すると、98小節の付点4分音符の後、また下位のチエロが…

バーメルト指揮札幌交響楽団のシューベルト8番第2楽章

第2楽章は名演だった。対位法の演奏法を駆使して、通常は沈んだ声部を浮上させて驚くべき魅力的な演奏をして見せた。 際立った2つの対立した旋律を同時に聞くことは煩わしいはずだが、名指揮者の資格はどれを主旋律に決定し、無慈悲な副旋律として決めて沈んでもらうことだ。基本的には指揮者の仕事は交通整理をする警官の手の動きで、百台の車の動きを制御することにある。ストコフスキーと交通警官が白い手袋でジェスチャー…

バーメルト指揮札幌交響楽団のシューベルト8番

日本ではアバドが録音した新全集版の8番の演奏は評判が悪く、旧版が通常演奏される。 今回は新全集版に基ずいた第一楽章201-202小節のホルンの延長が演奏された。引用は205小節以降で、2か所で新全集版の変更が見える。 205,209小節のホルンが2小節延長されているのが新全集版なのだが、今回バーメルト指揮札幌交響楽団の演奏で日本では初めて音にされたのではないか。 余談だが、フルトベングラーやトス…

ルイージ指揮NHK交響楽団のハイドン交響曲100番『軍隊』

なかなかユニークな解釈があった。基本的にはアルノンクールの演奏が投影されていた。 第一楽章の62-67小節の金管の強調はアルノンクール指揮南西ドイツ放送響の演奏を踏襲したものだった。 アルノンクールの場合にはsf(スフォルツアンド)だったがルイージではfか。 こういう例は104小節の低弦で楽譜はpだがアルノンクールはfで強調すると、ルイージ指揮NHK交響楽団もfで演奏していた。 面白いのは第三楽…

不可逆的ダメージの先駆者ワルター・カルロスと『スイッチト・オン・バッハ』

富田勲に影響を与えたシンセサイザーによるバッハ演奏は、ワルター・カルロスが1968年に発表した『スイッチト・オン・バッハ』。彼は男から女に性転換して、その後に女が好きになってしまった。 『タイムズ』が今年一番の本と推奨した『不可逆的ダメージ』が、今出版元KADOKAWAで不可逆的な出版になっている。出版取りやめということで話題の本になっている。 出版になっていない本の内容が流布していて、その内容…

晩年が始まる飯守泰次郎指揮東京シティー・フィルの『運命』

この人の晩年ほど魅力的な演奏を聞かせた人はなかった。長い長い沈滞期があって、突如活火山が噴火したのである。爆発は地方の田舎者で、洗練された常識人にできている東京っ子は似合わない。しかも超セレブリティの出自だから、本来はありえないのだ。 NHKFMの功績は、飯守泰次郎の前半期と後半期の区分けに成功したことだ。ベートーベンの交響曲全集2種が、図らずも前期後期の演奏を分けた。ベーレンタイター版全集が飯…

人生という作品を見事に生き抜いた尾崎翠

女流作家の尾崎翠ほど自分の人生を見事に生き抜いた人は稀である。成功と栄光を勝ち抜いた人生を得た人は、勝ち組といわれるが、そんな人だった白洲正子は86歳の高齢で、「早く死にたい」と漏らしていた。勝ち組の末路はそんなものだろう。10年前は86歳は天寿だが、現在は96歳になって、高度医療の成果が出ている。 長谷川如是閑は80歳を超えると毎日生きるのが大仕事だと述懐しているが、フランスの思想家アカンベン…

反田恭平指揮ジャパン・ナショナル・オーケストラのブラームス1番

高校生の坂本龍一は、門下生の発表会でブラームス1番第一楽章をピアノで弾いたという。大学に入ったらこういう音楽を作曲したいと抱負を語ったという。 ピアニスト反田恭平は、指揮者の最初にこの曲を選んだ。「この演奏会でしか聞けない演奏をしたい」と抱負を語った。なるほどこの演奏会でしか聞けない演奏はあった。 第一楽章。 320小節のテインパニの付点4分音符のトレモロに、反田恭平はリタルランドを掛けて演奏さ…

『小津安二郎は生きている』Eテレ平山周吉出演

平山周吉の小津安二郎論が注目されて、要点を自ら出演して解説していた。 (1)山中貞雄の『丹下左膳余話百万両の壺』の壺は小津安二郎の映画にも扱われていて、        二人の友情が壺で表象されている。 (2)小津安二郎の『東京物語』では、原節子と笠智衆とが戦没者としての山中貞雄が追悼     されている。 山中貞雄は最初に原節子を見出して『河内山宗俊』に出演させ、山中と小津は監督同士で友情を結ん…

近衛秀麿と大町陽一郎、仕込みには金が掛かる話

近衛版ベートーベン交響曲は実はメンゲルベルク版ベートーベン交響曲であったことが判明した。メンゲルベルクのベートーベン交響曲全曲演奏会(1940)の演奏を反映していた。 この実演が日本でレコードで発売されたのは1973年であった。 出版社の音楽全集の刊行で、日本の指揮者と楽団が動員されて名曲の数々が録音された。多分外資のレコード会社は自分の首を絞める行為なので、自社の録音は拒否か使用料を高額にした…

近衛版ベートーベン3番秋山和慶指揮大阪センチュリー交響楽団(3)

まず報告したいのは、メンゲルベルクと近衛秀麿の有名な第九フィナーレのテインパニのリタルランド(テンポを落とす)終結のことだ。メンゲルベルク(1940)と近衛秀麿(1968)の演奏で、どちらが先行かという問題がある。厄介なのは、メンゲルベルクのベートーベン・チクルス(1940)の録音は1968年以降に日本で公開された事実がある。時系列を素直に理解すれば、メンゲルベルクのレコードを聞いて近衛秀麿が影…

近衛版ベートーベン3番秋山和慶指揮大阪センチュリー交響楽団(2)

第二楽章。 158小節の空白のテインパニでffの強烈な音が響いて度肝が抜かれる。 158小節は低弦の2分音符にff記号があるがテインパニは空白になっている。そこでこれを強調するわけで、テインパニに2分音符を加筆させてffで打たせている。 さらに、159,160小節でテインパニの空白に2分音符を打たせた。 それは管楽器の補強という意味なのだろうが、ffで強奏しているわけで、純粋に補強とは違うだろう…

近衛版ベートーベン3番秋山和慶指揮大阪センチュリー交響楽団(1)

おしなべて近衛版編曲は立派で、ダイナミクスもアゴギークも大胆で、通常の秋山和慶の演奏では聞けないものがある。つまり使用すると通常をバージョン・アップすることになる。 近衛版『運命』が問題有りか。 その上で、今回は数少ない欠点だけをあげつらおう。というのも、9曲編曲しょうと思いつくのは相当変わっている人だ。変わり者、偏屈、へそ曲がり。そういう人だけが全う出来る仕事だ。イーロン・マスクのグループの人…

林芙美子と森達也監督『福田村事件』

明治大正に一世風靡した『オイチニの薬屋』の陶器人形。軍服姿でアコーデオンを弾く薬屋と少女はワンセットの風物でした。義父沢井喜三郎と少女林芙美子はこうして薬売りの行商をしていました。まさに林芙美子人形ですね。 映画『福田村事件』を見た時、行商の集団に子供が加わっているのが不思議であった。事件簿には被害者が報告されていて、中に子供が含まれている。史実に忠実ということで再現したわけだが、その意味が分か…

楽譜にない装飾音符を演奏したフォークトのモーツアルト24番

2022年9月に51歳で死んだドイツのピアニストのラルフ・フォークト(1970-2022)のモーツアルトのピアノ協奏曲24番の演奏です。イリン・マリン指揮ベルリン放送交響楽団で2003・3・1の録音です。ユーチューブ公開で誰でも聞けます。 モーツアルトのピアノ協奏曲24番、第二楽章が最もフォークトの独創性が発揮された場面だった。 アンスネス(1970-)も同年生まれでのピアニストであったが、奇し…

林芙美子とマーラー、クラシック音楽を理解した唯一無二の女流作家

クラシック音楽は日本人にとっては敷居の高い分野である。樋口一葉から川上弘美にいたるまでの近代日本の女流作家で、クラシック音楽を理解した唯一無二の女流作家になれたのは林芙美子であった。最もブルジョワ的で高尚な分野、知識では分かっていても感性が従属して生じる音楽性は厄介な代物である。 音楽家に成りたいと思った時には既に遅く、その前に音楽をやっていなければ成れない。少なくても親子二代の離れ業が必要とさ…

尾崎翠の生前の最大の理解者だった林芙美子

裏表の激しい人だったが、これを否定肯定と捉えて差し引いてみると、はるかに大きく尾崎翠を肯定的に捉えていたのが林芙美子だったと言えるのではないか。 時々、かつて尾崎さんが二階借りしていた家の前を通るのだが、朽ちかけた、物干しのある部屋で、尾崎さんは私よりも古く落合に住んでいて、桐や栗や桃などの風景に愛撫されながら、『第七官界彷徨』と云う実に素晴らしい小説を書いた。文壇と云うものに孤独であり、遅筆で…

ロンドン交響楽団とロンドン・フィルの違い

オーケストラに呼び名・呼称を付けると、シンフォニーとフィルハーモニーの2種類に分類できる。その違いは成立時に音楽家が自主的に寄り合って作った団体が協同組合(フィルハーモニー)だからだという。まさしくウィーン王立歌劇場の楽団員が日々の公務の合間に自主的に集まって演奏した団体の呼び名がウィーン・フィルハーモニーだった。 ウィーン国立歌劇場管弦楽団で演奏する楽団員は公務員で、その公務員がアルバイトで働…

決定盤だったケルテス指揮バンベルク交響楽団のハイドン104番

今日は良いものを聞かせてもらった。名演と名高いエッシェンバッハ指揮ロザーヌ室内管弦楽団の演奏のオリジナルが、このケルテスの演奏だったという発見と、ハイドンの交響曲104番の演奏の決定盤がケルテスの録音だったことの発見である。 多分ケルテスの104番の演奏が名演であることも世評にはなく、話題に上らなかったと思う。しかもケルテスの演奏が31歳であり、この歳でハイドンの演奏が完璧に確立されているという…

エリック・サティー事始(薩摩治郎八と関係があった)

薩摩治郎八(1901-1976)は1935年に、世界恐慌で実家が破産して財産整理のために日本に帰国することになった。主婦の友社、かつてのカザルス・ホールがあった所が実家の屋敷であったという。 久しぶりの帰国で、友人の音楽評論家増沢健美(1900-1981)は帰国中の薩摩治郎八を実家の屋敷に訪問した。増沢健美の伝記は今のところウィキペディアにはない。増沢は毎日音楽コンクールの創設者である。 雑談中…