続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

立ち小便していた紫式部とテレビ大河ドラマ『光る君へ』

NHKの日曜大河ドラマ『光る君へ』が、平安の最高権力者の藤原道長と『源氏物語』の作者紫式部とが恋愛していたというので、それだけを聞いて食わず嫌いになってしまった。ところが平安時代の日常生活が描かれていて、一応の時代考証が反映されていることで、急に興味が湧いてきた。


例えば真冬に天皇が清少納言に促されて、庭先の積もる雪を見て、雪だるまを作るシーンが出てきた。天皇のいる部屋はすだれ(簾)で覆われているが、それだけで冬の寒さに耐えていた。寒さを遮断すると部屋は真っ暗になる。昼間は明るい生活がしたいとすると、外と遮断出来ないのだ。


そこで発明されたのが十二単(ひとえ)で、着物を厚着することで暖を取るしかない。当時宮中でも火事が多かったようで、御所が火事で天皇が逃げるシーンが出ていた。やはり家屋内で火は厳禁だった。さすがに簾で外の風を遮断できないので、発明されたのが屏風で、昼間は折って部屋の隅に始末する。夜になって寒くなると屏風を立てて遮断する。


やんどころなき姫君が金箔の屏風『洛中洛外図』をロウソク一本の光で、京都の都の思い出を見ながら長い夜のとばりを楽しんでいたかも知れない。


『こづちチャンネル』のこづち先生は、御所の小部屋に一本長い棒が掛けてあって、そこに十二単を掛けておまるで用便をしていたと時代考証していた。身分の低い人は京都にはりめくらされた小川で水洗便所をしていた。桂離宮には天皇専用のトイレがあった。これが猫のトイレとまったく同じなのだ。


京菊は背丈が高く、高床式の御所の廊下から鑑賞できるように作られた。藤原定家は蚊に刺されてマラリアに罹っていたらしい。沼地の多い京都の地形は蚊が大量発生した。蚊に刺されない高さの住居が発明された。これが高床式の御所だった。高貴なお方は専用のトイレで用を足せばいいが、召使たちはどうしていたか。小川の水洗便所だが、そこまで行けない。とすると御所の隅にある廊下から、庭にめがけて用を足すことになる。それが終わると身を整えて去る、すると庭掃除人が現れて濡れた砂を掘って遠くに捨てる。別の新しい砂を運んで埋める。意外に清潔生活だった。ヨーロッパでは二階から道路に糞尿を放棄する。セーヌ川から水を引いて汚物を流すのだった。一日一回の放水だから、パリの道路は異臭を放った。


桑原武夫というフランス文学者の随筆に、関西の婦人は立ち小便をすると書いて驚嘆した。それは谷崎潤一郎も言及している。古老に聞くと、日本人は当たり前で、田植えをしていた農民婦人はあぜ道で立ち小便をしていたのは戦前農村の当たり前の風景だった。農村の今の若者は立ち小便が出来なくて自動車で自宅のトイレにしに行く。父親は畑の脇で立ち小便をするという。


御所で高級貴族でなかった紫式部は、御所のトイレは使えず、御所の隅っこで立ち小便をしていたことになる。渡辺外務大臣がベルサイユ宮殿でトイレを探したが無かった。森に行って用足しをしたのは有名な話だ。


静岡の川勝知事は丹波篠山の産で、地域一体は皆川勝姓で、秦河勝の子孫だという。秦河勝は沼地の京都を灌漑して遷都した第一人者。やったことは沼地の灌漑土木工事だ。小川を造って沼を干す工事。それで小沼を干して土地にする。そういう造成工事で今の京都が出来た。余計な水は小川で下流に流す。秦河勝の名前にいわれが隠されている。川に勝つ、だ。川勝知事の先祖も沼地の人の住まない土地を小川を張り巡らして、水を抜いた。後は秦一族の領地になった。めでたいと川勝の姓にした。今度は川に負けた。


もう一つ、古代・中世の建築物の照明である。禅寺が出来て日本建築史に革命をもたらしたという。夜や冬は寒い。禅寺は中国から新仏教をもたらしたが、中国の禅寺は雨戸があつて雨戸で部屋を塞いだ。日本にはそんな習慣がなかったのだという。雨戸が伝来して塞ぐ知恵が付いた。そして雨戸を和紙を張った障子に改良した。金閣寺の足利義満ではないでしょうか。鎌倉時代以降の禅寺の発明です。


そういえば、シェークスピアの『マクベス』などは石造りの居城があって窓には窓ガラスがない。ふきっ晒しなのは洋の東西で同じ。マクベス王も一条天皇もふきっ晒しの部屋に住んでいた。マクベス王は巨大な暖炉で薪を燃やして暖房と照明をした。結構辛い生活をしていたらしい。


『どうする家康』では栄華を極めた豊臣秀吉が大阪城の天守閣で巨大囲炉裏を造って、ロウソク千本を灯してしていたのは画期的でしたね。さぞ夜でも明るかったに違いない。同時代にベニスで板ガラスが発明されて、フィレンツエのローレンツオ・デ・メディチが史上初のガラス窓の宮殿を造ったという。


家屋に雨戸が出来たのが画期的で、次に真っ暗になる欠点が克服された。井伏鱒二『珍品堂主人』によれば、春日大社の吊り灯篭に時代が反映されていて、秦秀雄が古い吊り灯篭の証拠を発見したという。雨戸を上半分切って窓にして棒で支えれば、明り取りになる。夜になって上半分の雨戸を閉じればいい。古い春日大社の吊り灯篭にはその細工がある、と秦秀雄が発見した。これで暖房効果が完全になった。雨戸は日本に禅寺が渡来してらからの話で、それ以前には家屋を密閉する発想はなかった。竪穴式住居に住んだ農民は意外に暖かく、天皇の住む御所は想像を絶する寒さらしい。天皇の寝室が四方密閉された部屋という実証・証明する資料はないらしい。したがってテレビでも簾(すだれ)一つで寝室と外とを仕切っている。見るだけで寒い。月夜が照明になるから、部屋は密閉できなかった。