続パスカルの葦笛のブログ

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十代目市川団十郎(1882-1956)の謎を解く。富豪刑事・富豪同心・富豪歌舞伎役者

     華麗なる柳田国男の一族(長兄松岡鼎の再婚者が十代目団十郎の姉)


 大正天皇の貞明皇后の前で松岡天才四兄弟に言及する人がいると、田舎に兄さんが一人いると松岡鼎(1860-1934)の名前を、貞明皇后が挙げたという逸話が残されている。この人の後妻が十代目市川団十郎の姉で、後離別され実家からも追い出されて自殺した。


その前に文献的なことを言わせて頂く。坪内祐三の母は井上泰子で、その父は井上泰忠、その父は井上通泰で眼科医にして国文学者、森鴎外の友人あるいは松岡天才兄弟の一人だ。長兄が松岡鼎で、その後妻が十代目市川団十郎の姉なのである。坪内祐三は母方の親戚が市川団十郎という所以なのである。(坪内祐三『不謹慎酒気帯び時評』)結構遠縁で、石田英一郎からすると、妻が団十郎のメイになりかねない近縁だが、母が違い無血縁である。


茨城の利根町の田舎医者の松岡鼎が何故皇室に知られた存在になったか。その秘密の一端は松岡鼎の娘松岡茂子の長女になる岡村布佐子が民族学者石田英一郎男爵(1903-1968)と結婚したからかと思われる。石田の祖父石田英吉は土佐の産で坂本龍馬の弟子として幕末の志士として活躍し、公家と接触し中山忠光と昵懇であった。貞明皇后は公家の九条家の出自で中山家とは同じ公家で、そこで交渉があったのではないか。


石田英一郎は昭和9年柳田国男と知り合い、民俗学に傾斜し弟子になった。昭和11年に松岡鼎の孫娘岡村布佐子と結婚するのであった。師柳田国男の長兄松岡鼎の孫娘であったが、紹介は岡邦雄で、出版仲間の岡村千秋の妻茂子の祖父が松岡鼎であったという。なかなかの才媛で、夫と翻訳したり著書を数冊書いている。


松岡鼎は無料の師範学校を卒業したが、後に考えるところがあり、東大医学部に再入学して医者に転じた。知人の開業医が茨城の利根町で開業していたが死亡し、居ぬきで開業できるので後を継ぐことになった。そこで地元の素封家の娘と初婚をするが離縁した。再婚相手が十代目市川団十郎になる人の姉であった。この人の実家は江戸有数の商人であった稲延利兵衛であった。屋号が常陸屋であったので、利根町が地元であったのであろう。松岡鼎には両親があり、四人の兄弟と三人の姉妹が同居した大家族で、もとより妻が炊事洗濯掃除をするわけもなく、実家で使用人と付与金が出たのであろうが、大店のお嬢様には務まらなかった。とりわけ田舎生活は馴染めなく、悲劇の顛末が待ち構えていた。


さて、日本橋の大店常陸屋は幕府の御用商人であった。維新後は稲延銀行頭取の金融業を営んでいた。鐘ヶ淵紡績や富士紡績の経営にも参加した財閥でもあった。今もある丸通は元来が飛脚業で、稲延利兵衛が経営していたという。そんなわけで父と兄は稲延利兵衛として稼業を継いだが、次男の稲延安兵衛は慶応義塾を卒業し稲延銀行に入社し、銀行員の人生を歩み始めた。


稲延安兵衛(福三郎)は、九代市川団十郎の二女で二代目市川翠扇と自由恋愛をして結婚することになった。(我々の知っている市川翠扇は三代目市川翠扇(1913-1978)です。)由緒ある妻の実家を次いで、堀越福三郎になった28歳あるいは30歳、ことあろうに銀行員から歌舞伎役者に転職することを思い至るのであった。今の市川中車みたいな人は明治時代にもいたわけです。演技は初代中村鴈治郎に入門して教わることになった。さすがに江戸歌舞伎を宗家に教える歌舞伎役者は東京にいなかった。芸風は旦那芸の素人芸であったが、大財閥の金銭的支援は絶大な影響があって、五代市川三升(1880-1956)を襲名して一生を送った。系譜的には、妻の父は九代目市川団十郎であったので、十代目市川団十郎は十分名乗れる資格はあったのだが、一門は大反対であった。さすがに金持ちケンカせずで、事を荒立てず、市川三升で一生過ごすと、後継者の市川海老蔵は十代目を襲名せず、三升に十代目を死後追善して、自分は十一代目を襲名し今日に至っている。


というわけで、系譜的には九代・十代・十一代と継承されたわけです。また柳田国男という近代の知的巨人の家系血族に、異質な市川団十郎の血脈が繋がっているという面白味があるわけです。


従来一番等閑視されている松岡鼎の家系から、市川団十郎が出ている・石田英一郎が出ている。


最後に勝手なことを言わせてもらえば、十代目は富豪歌舞伎役者ではなかったか。実家は鐘紡・富士紡・丸通を経営する富豪で、戦後は私財を投じて歌舞伎座を建設してやり、十代目襲名を約束に海老蔵に十一代を襲名させた資金援助があったのではないか。30歳の銀行員が団十郎になる発想は桁が違う。富豪歌舞伎役者の成せる業であった。


みなさんご存じのように、富豪刑事・富豪同心は金に飽かして呆然と立脚しているだけで、事件が解決する物語です。富豪歌舞伎役者は歌舞伎座の舞台で立脚しているだけで周辺の役者が演じて歌舞伎物語が展開して行きながら、それでいて役者の見栄えが一番していた。菊池寛の『藤十郎の恋』は、関西の坂田藤十郎が関東の市川団十郎に演技で勝つ物語です。坂田藤十郎丈は若い頃映画で演じて感激して、どうしても坂田藤十郎の名跡を復活して襲名したい。妻の扇千景も夫の願望に感激して女政治家になり夫婦が二人三脚で実現してゆく『王将』の坂田三吉・小春のような物語です。扇千景の政治力がなかったら実現しなかった。


演技では坂田藤十郎に負ける市川団十郎は人気では優るわけです。関西歌舞伎の不振・江戸歌舞伎の隆盛がある。そういうことで見ると富豪歌舞伎役者・十代目市川団十郎は確信を付いていることになる。さらに十代目市川団十郎は中村鴈治郎と縁がある。奥が深い気がする。