続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

尾崎翠の生前の最大の理解者だった林芙美子

裏表の激しい人だったが、これを否定肯定と捉えて差し引いてみると、はるかに大きく尾崎翠を肯定的に捉えていたのが林芙美子だったと言えるのではないか。


時々、かつて尾崎さんが二階借りしていた家の前を通るのだが、朽ちかけた、物干しのある部屋で、尾崎さんは私よりも古く落合に住んでいて、桐や栗や桃などの風景に愛撫されながら、『第七官界彷徨』と云う実に素晴らしい小説を書いた。文壇と云うものに孤独であり、遅筆で病身なので、この『第七官界彷徨』と云う作品にはどのような女流作家も及びもつかない巧者なものがあった。私は落合川に架したみなかばしと云うのを渡って、私や尾崎さんの住んでいた小区へ来ると、この地味な作家を憶い出すのだ。いい作品と云うものは一度読めば恋よりも憶い出が苦しい。(林芙美子「落合町山川記」)


戦前の段階で、昭和8年、良くぞ尾崎翠『第七官界彷徨』のことに言及してくれたと、林芙美子の功績に感謝を謝すくらいだ。昭和44年まで無視され続けられた小説家である。林芙美子がどれほど尾崎翠を他方で誹謗したとしても、それを差し引いても功績は多大であったのだ。


無名作家の尾崎翠の名前を生前記録してくれただけ増しである。


林芙美子の「落合町山川記」も、その言及は「その頃、尾崎さんもケンザイで鳥取から上京して来ていた。」と始まる。健在とは、まだ生きていたということだろう。鳥取に帰郷すると、林芙美子は尾崎翠は死亡したと吹聴したというから、その根拠にもなっている。1979年に本が再刊された時、交際していた高橋丈雄は最近まで生きていたことを知り驚いたという。死んだと吹聴した林芙美子の悪業が蒸し返された。


大正ロマンの雰囲気がふんぷんとした高踏派の小説『第七官界彷徨』は昭和8年に出版された。昭和9年が戦前のGNPの頂点で、昭和31年「もはや戦後ではない」と経済白書が高らかに高度成長を謳歌する。経済成長が昭和9年と昭和31年とで、右肩上がりが結びつくのである。その谷間が失われた戦事体制であった。経済成長を戦争に求めたわけだが、領土と軍隊を失った日本は、それが原因で高度成長を迎えるのであった。近代日本のガンが領土拡大と軍備拡大であったのだ。まさしく進むべき方向が間違っていた。


流行歌の灰田勝彦は戦前に、もう既に進むべき戦後を歌っていた。灰田勝彦だけが戦前に、進むべき日本の戦後モデルを提示していたのだった。これを汲み取る人がいなかった。尾崎翠の『第七官界彷徨』も、戦後日本を既に歌っていた戦前小説だったかも知れない。