続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

何故彼らはブルックナー4番初稿版1874年版に憧れるのか

2024年ブルックナー生誕200年記念年、驚くべきことはかくも1874年版初稿版の録音の多岐な数に及ぶことだ。


再度注意喚起すれば、この指揮者たちには新旧2派に分かれる。全く年齢による分類なのだが、新旧両派にまたがるのがエリアフ・インバルで、この人が又初稿版1874年版を最初に録音した指揮者でもあることだ。そうしながら今日も相変わらず初稿版1874年版を指揮し続けているのだが、もっと不思議なのは世間は一向に振り向いてくれないということだ。インバルは孤立無援で獅子奮闘の活躍かというと、ノバーク版で4番も指揮するのである。招待するオーケストラは観客の入りが少ないから「ノバーク版でっせ」「あいよ」といった風情なのだろう。固執しないのが長く指揮者界で生きて来られた秘訣にちがいない。


ところが2022・12・14の東京都交響楽団の演奏では、1874年初稿版の4番の演奏をした。ユーチューブの都響の案内ブースが聞き捨てに出来ない名演を拾っている。まあ其処が聞かせ所なのだろうが、同じ箇所でも1983年初CD化の録音と違う演奏なのである。楽譜を見ると初稿版が異なるわけではない。

ノバーク版413-416小節のテインパニの4小節は、初稿版1874年版では418-421小節に当たるのだが、2分音符が4つトレモロで打たれるだけだが、インバル指揮都響の演奏では初稿版から離れて独自の解釈をした。
1983年のフランクフルトではトレモロだけだった。2022年の都響では一打(418)pp(419)<(420-421)と振り分けて巧妙なダイナミクスが爆発した。


わずか1:28秒のコマーシャル・リハーサルの中の0:53にインバルの驚異的な名演が鎮座している。ユーチューブ有難うである。
*ユーチューブのサイトに出て、「インバル指揮東京都交響楽団ブルックナー4番」で検索すると、1分28秒の名演リハーサル、とりわけ53秒後に傑出した名演にぶち当たる。


インバル独自の年齢と蘊蓄が遂げた解釈で逃げた場面であったのだろう。初稿版だけど観客を引き付けたいと意欲満々である。1983年では音楽職人として初稿版の音符を正確に再現した。2022年では楽譜に拘泥されるのではなく、芸術家としての進化を見せた。そこに一種の感動があるのである。


何で今ヨーロッパでは初稿版1874年版の演奏が騒がれているのか。


大原富枝「加賀乙彦の『フランドルの冬』どうなんですか」
平林たえ子「あの人はヨーロッバ(の伝統に)悩み苦しんでいるのですよ。その苦しみあがきの表出ですよ」


という対談があった。インバルでは若い指揮者に指針が示せなかった。インバルやギーレンでは役不足であった。本当は彼らが指針を提示してやらねばならなかった。問題に解答をだせなかったのだ。そこで今以て若手が悩み苦しんでいる。


ブルックナー交響曲4番初稿版の新派旧派
新派
ロト指揮ギュルツェニッヒ管弦楽団
ナガノ指揮バイエルン国立管弦楽団
ヤング指揮ハンブルグ・フィルハーモニー
シャラー指揮フィルハーモニ・フェスティヴァ
ラッセル=デイビス指揮リンツ・ブルックナー管弦楽団
ボッシュ指揮アーヘン交響楽団
旧派
インバル指揮フランクフルト放送交響楽団
ロペス=コボス指揮シンシナティ交響楽団
ノリントン指揮シュツットガルト放送交響楽団
ギーレン指揮南西ドイツ放送交響楽団


悩める若手指揮者は第2稿1878・80年版や第3稿1888年版で演奏すれば必ず先人の解釈に出会って独自性が出せないで悩んでいる。初稿1874年版に行かざるをえないのである。


その点で2022・12・14のインバル指揮東京都交響楽団の4番の演奏は、彼らに僅かながら光明の兆しを放ったかな、と思う次第である。