続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

エッシェンバッハ指揮NHK交響楽団マーラー交響曲5番

一般的に妻アルマとの愛に満ちた幸福な時期の交響曲だと言われている。それなのに第一楽章は葬送行進曲で縁起でもないわけだ。そこで結婚は人生の墓場だという格言があり、アルマとの結婚は人生の墓場だったのかなとも考えられる。しかしアルマと結婚してみれば、この交響曲の頂点であるアダージェット楽章で、濃密な愛が賛歌されて、アルマと結婚して間違いなしと述懐する。


この葬送行進曲は実はメンデルスゾーンの「無言歌集」Op62-3の引用だと言われている。
メンデルスゾーンはピアノ曲で、マーラーはトランペットで演奏されている。
マーラーの引用では、有名曲でかなり引用が明瞭である。


それなのに、トーマス・マンの小説「ベニスに死す」では主人公はマーラーだと言われ、マーラーの愛したのは少年であった。アルマが少年に入れ替わっている。


となると冒頭の葬送行進曲は、遊び人が所帯を持って身を固めて女一筋に尽くした結婚生活が墓場という意味が、ボーイズ・ラブの人が異性愛の人と偽装結婚して墓場の人生という意味の変容になってしまう。


一転して、中村光夫が芥川龍之介が「歯車」を書いた時、堀辰雄と小穴隆一との三角関係にあり、両者との縁切り問題があって、その実三角関係の維持が固持されていて、その手の人が読めば別れると言っているが別かれないと読めるような工夫になっている小説なのだと解釈した。同性愛という合鍵を持っている人なら、その合鍵で「歯車」の秘密の部屋に合鍵を使って入って、真意が分かるようになっている入れ子小説なのだという。


この交響曲はまさにアルマとの愛で作曲されているのだが、マンやビスコンティのような同性愛の合鍵を持った人には、メンデルスゾーンの引用は深い意味がる。結婚が葬送行進曲なのだから。


今夜の指揮者エッシェンバッハは円熟した人生の持ち主だから、多様性(ダイバシテイー)には長けている。


さてもう一つ注目したいのが、スケルツオ楽章のホルンだ。
5つのホルンが列挙されて、それぞれがリレーされて最後に最上段のホルン・オブリガートに受け継がれる。


音としては異差はないが、視覚的には隣から隣にリレーされない。それを指揮者は隣のホルンから隣のホルンにリレーされるように配慮するらしいのである。むしろそれこそ指揮者の腕の見せどころである。そこでホルンを一列に並べて演奏させる。


今回のエッシェンバッハはどうもその一工夫があったようである。6月のテレビまでおわずけである。