アルティノグリュ指揮ウィーン・フィルのフランク交響曲
とうとうプロの指揮者にフルトベングラーの信奉者が現れた感がする。フルトベングラー指揮ウィーン・フィルによるフランク交響曲の音質の悪い録音があるが、ステレオで聞いている感がする。その場に立ち会えば、きっとこんな感覚で聞けたのではないか。
オーケストラは同じウィーン・フィルである。同じオーケストラでフルトベングラーの演奏解釈を再現することに、何のためらいもなく復元してみた。
果たして同じ感動が呼び出せるものか。
第一楽章、演奏の解釈面から見ると、387-388小節のフルートのpoco rallだが、フルトベングラーはこの箇所でテンポを落としている。アルティノグリュも同じにしている。これはあえて模倣ではなく、同類の解釈と呼べるものだ。
471-472のクラリネットは、piu rallとあり、二人は同じくテンポを落としている。
問題は512小節のテンパニである。
フルトベングラーはリタルランドを掛けている。そしてアルティノグリュが最もフルトベングラーに近いリタルランドを掛けている。
アルティノグリュは、その前の3小節前のフルートでfffを音がひっくり返っても強く演奏させている。演奏は音が事実割れている。それほどまでしても強調したかったのであろう。秩序を破壊しても緊張を出すのはフルトベングラーの思想だから、これは合点がゆく。
いかにもフランス人らしいフランクという演奏がある。この人にはそれはないのだ。「フルトベングラーのフランク」を出すのが眼目であった。そこに肉薄すれば、たとえ音が割れてもかまわない。
ということで第一楽章は成功したのではないか。
以降、フルトベングラーがテンポを落とす所は落とし肉薄している。
第三楽章のコーダへの緊迫した緊張も大したものだった。