続パスカルの葦笛のブログ

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第九フィナーレ考、メンゲルベルクが早いか近衛秀麿が早いか

メンゲルベルクの第九フィナーレの終結のリタルランドだが、メンゲルベルク愛好家でも意外に拒否反応が強いらしい。人は好みだから、好き嫌いは自由ということに尽きる。


私はメンゲルベルクの芸術観の最高峰の結論だと思う。その判定基準は、メニーイン指揮ワルソビアによる全集で、やはり第九フィナーレをメンゲルベルクのリタルランドで終結している。この学殖の深い音楽的英知の塊がそういう結論を下したのは決して容易なものではなかったとおもう。フルトベングラーを尊敬すこと絶大な彼も、フルトベングラーではなくてメンゲルベルクに組したわけである。これは大きいと思う。


テインパニに記入出来なかったので一番上のピッコロにピンク色で記載したが、メンゲルベルクはテインパニにリタルランドを掛けて終わっている。


さて、この問題の次は、厄介な問題がある。


1 メンゲルベルク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団1940・5・2録音。
2 近衛秀麿指揮読売日本交響楽団1968年録音。


この録音年代を見ると、誰でもメンゲルベルクの演奏を近衛秀麿が影響を受けたと理解する。


ところが例のメンゲルベルクのベートーベン交響曲全集ライブ録音は、ベートーベン没後150年記念に、1977年に初めて公開されたという記録が残っている。つまりそれまではライブを聞いた人でない限り、メンゲルベルクの第九の演奏を聞いた人はいないのだ。


つまり近衛秀麿はメンゲルベルクの第九演奏を知らないのである。メンゲルベルクの第九フィナーレのリタルランドを知らないのである。


一般聴衆が第九のフィナーレでリタルランドで終わるのを聞くのは近衛秀麿の演奏の方が早いのである。


それで1977年メンゲルベルクの第九が公表されて、1940年に演奏されているものだから、メンゲルベルクから近衛秀麿への影響と考えた。


近衛秀麿は独自路線でリタルランド終結を考えたという結論に至るのである。それにしても9年間近衛のリタルランドを無視して、9年後メンゲルベルクのリタルランドで驚嘆したのである。


付記。今ではほとんど知られていないが、1960年代LPレコードは大変高価な品物で、大衆価格で提供したいという野望があった。出版社は本にLPレコード一枚を付録にして発売した。当時は文学全集や百科辞典を買って応接間に飾るのが流行であった。音楽全集というわけで、市販のレコードを廉価版にしたり、出版社独自の企画で日本の指揮者日本のオーケストラを雇って録音したのである。そういう意味では貴重な記録になっている。その最大の貴重品が近衛秀麿で、ステレオで巨匠の記録が残った。出版社の売らんがなの企画で事実売れたのだ。音楽全集のかなりの部分を担当して、今ある形で残った。芥川也寸志指揮新交響楽団でLP50枚ほどの山をフリマで見たことがあった。芥川の指揮者活動の全活動を全貌出来る資料で、凄いと驚嘆した覚えがある。欲しいが重いということで断念した思いがある。