続パスカルの葦笛のブログ

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クラシック業界の明智光秀ホグウッド(1941-2014)三日天下の古楽器奏法の法王

この人は業績の割には評価が著しく低かった。とうとうサーの称号を得られなかった。


イギリスの有名な指揮者はほとんどサーの称号を贈られて、その業績が称えられているが、落ちこぼれてしまった。エンシェント室内管弦楽団でモーツアルトの新しい演奏を初めて一世を風靡したのである。オーケストラが鳴っていて、ハープシコードが自由に鳴っている。モーツアルトがハープシコードを弾きながら、オーケストラの開始の合図をしたり、歓喜余って感情の高ぶりをハープシコードで鳴らして表現した。それは通奏低音とよばれた古楽器奏法の復活であった。そういうことは今まで知らなかったわけだ。革命的な演奏法であった。古楽器奏法の法王の権威となった。


この時ホグウッドはオーケストラまで古楽器に代わるとは思っていなかったに違いない。しばらくホグウッドの天下が続いた。その天下は明智光秀が織田信長を殺した三日天下であった。その後続々と古楽器復興が続いた。その研究の日進月歩は著しかった。イギリスの古楽器奏法はモダン楽器を使用していたが、オランドのブリュッヘンなど古楽器奏法は全ての楽器の復刻版で演奏することになった。ホグウッドは三日天下から凋落した。ホグウッドはさらに古楽器研究に精進するのではなく、モダン・オーケストラの普通の指揮者に転向した。


モダン・オーケストラで古楽器奏法をする芸風は凋落した。ここでホグウッドの評価は下落し始めた。同じ古楽派から、味方同士の後方から鉄砲で撃たれて撃ち死にしたかたちだ。実戦では結構味方から撃たれて死ぬことはあるらしい。そして違法ではないらしい。単なる事故扱い。


ガーディナー、ノリントン、マリナーなどの古楽の同僚はサーの称号を与えられたが、最大の功労者のホグウッドは忘れられた。ラトル、アンドリュー・デイビス、コリン・デイビス、プリッチャード、バルビローリとサーの称号を得た人は多い。


エドワード・ダウンズ(1924-2009)は有名なシドニーの貝印オペラハウスの落成式で指揮した。マリア・カラスに歌詞を教えたコペ役をした。また夫婦で安楽死で人生を閉じた。


グッドウォール(1901-1990)は父が市役所の金を横領して一家してアメリカに移住した。クナッパーツブッシュの助手をしたが、遅いテンポは師匠譲りだという。1951-1962年までバイロイトで助手をしていた。大町陽一郎は会っているはずである。イギリスでワーグナーの権威筋になったが、ファシストにもなった。彼のワーグナー演奏はイギリスでも賛否両論だが、1985年サーの称号が贈られた。


ビーチャム(1879-1961)は世襲貴族で一代限りの名誉ではない点で破格である。実家は今も製薬会社である。