続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

アパート住まいの聖人、小室直樹と鈴木邦男

アパートを一生の住家として、家を持たず金を持たず女房を持たず、只ひたすら読書に明け暮れて真理を追い求めた人がいた。そういう新右翼の鈴木邦男(1945-2023)が今年死んだ。その先例に小室直樹(1932-2010)がいた。一生を安アパートで暮らした人だった。


と、くれば美談なのだが、どうもそうはいかなかったようだ。小金が貯まって、もっと快適な一戸建て住宅に引っ越して、余生を送ったというのが事実だった。これも良し。何も清貧の求道者のポーズに生きることはない。しかし今時冥利を追い求めず、最低限度の生活をして、読書三昧・真理を追い求めた人がいると言うだけで、凄いじゃないか。


小室直樹は山本七平の紹介で女性と結婚した。彼女は人並みの幸福を彼に与え、弟子が大嫌いで遠ざけた。優秀な弟子に囲まれて、かけがいのない先生として尊敬されたが、それは真実の姿ではなかった。弟子に慕われる先生のポーズを作るのが苦痛で、その苦しみを深酒で逃げた。彼女はそれを理解出来て、弟子を切った。一日中テレビを見て、立川談志の出演を見ながら、酒を飲んで、晩年の幸福を味わった。料理・洗濯・掃除・整理整頓で少しHがあつた。望外の幸福であった。最新の原書を読んで、弟子たちより一歩先を進んで、弟子にそれを教える優越感と満足感は何でもない空回りだったことを知った。「お父ちゃん弟子に殺されるよ」と、小室直樹を弟子から守った。晩年の林達夫は「もう僕は洋書が読めなくなって君に会うのが恥ずかしい」と山口昌夫との面会を拒否したという。その山口も病魔が襲って惨憺たる晩年になってしまつた。そう思うと小室は小金と妻に恵まれた至福の晩年になった。弟子は没して半年以上知らされなかった。妻は夫小室直樹が晩年平泉澄を慕ったと語り、弟子たちを暗澹たる思いにさせた。世紀の英知が皇国史観かよ。


弟子に殺された人が夏目漱石だった。45歳の早死にだった。弟子が帰ると、漱石は憔悴した。女房子供に当たった。悪い夫で悪い父だった。それを見ていた和辻哲郎は自宅に弟子を招かなかった。冷たい先生に徹した。漱石とは反対に家庭を大切にした。資産家の娘で、京大助教授時代の家は山あり池ありの豪邸で、後梅原猛の邸宅になった。左団扇の生活費は妻の実家の資産だった。和辻には教え子はいたが弟子は一人もいなかったという。


さて、小室直樹に最大の影響を与えた人が忘れられた皇国史観の平泉澄だった。青々塾という平泉の私塾があって、青年に皇国史観で洗脳した。折口信夫の若衆宿のようなもだという噂がある。入塾するイニシエーションが施される秘密結社だという。平泉は白山神社の神主で、白山信仰にそういうことがあるらしい。悪所には必ず白山神社がある。そう指摘する人がいる。


平泉澄には大川周明ほどの理論があるわけではない。皇国史観は、平田篤胤の亜流で、韓国は何でも自国が発明したと主張するが、それである。平泉は陸軍を指導したと豪語するが、聞き手役の伊藤隆を絶望させた。妄想の歴史家だった。『皇国2600年史』は平泉のお株を奪ってしまった。大東亜共栄圏の発想は平泉から出てこない。粒が小さい。本来こんな人が一世を風靡するはずがなかったのだ。


そんな平泉澄に小室直樹は何故傾倒したのか不思議である。後々の小室直樹を形成した原理の発想法を、平泉が北畠親房の『神皇正統記』を講義した時に与えられたらしい。その感動は生涯彼を支配した。理論が人を支配する。キリスト教神学に因果律と予定説があり、人間はそれを使い分けるから、2つの考え方を知らないと、見誤る。平泉は武士が尊王思想と忠君思想を使い分けていると指摘したらしい。


若き学徒の小室直樹には屈服出来る理論が新鮮な刺激だったのであろう。しかし平泉澄以降、小室は綺羅星のような有名学者を師に仰ぐが、理解が及ぶと彼らの理論が破綻して、恩師に限界を感じてしまう。それでも小室直樹は東大が大好きだった。願わくば東大で地位を得たかった。見切りをつけて私大にポストを得て研究三昧の生き方が出来なかった。東大は小室が勝手に教室を利用することを禁じた。東大の外のビルの部屋を借りて、自主ゼミが続いた。東大から追い出したかったが、学生は大学の指導教官より彼の学問を慕い、自主ゼミに参加した。身銭を出してゼミをやった。悪循環だ。悪の因果を教育で断つ、と言ったのが北野武の母だ。小室直樹の悪因果を断ったのが妻だった。


アパートで孤独死で発見される所、山本七平のお節介で、アパートと東大生からお別れして、小洒落た新築の一軒家を買って新婚生活を送った小室直樹だった。鈴木邦男も、兄貴の家の近所に引っ越し、兄貴の奥さんが一日一回様子見に来て、アパートで孤独死で発見されるのを免れたらしい。めでたし、めでたし。


鈴木邦男でいうと、この人赤報隊事件の真犯人とされていたというが、容疑者は9人で一番真犯人に遠い人だった。かなり盛っていた。昔の仲間は右翼利権を得て日本会議で活躍するが、そういう生き方が出来なかった。鈴木の柔和な笑顔と赤報隊の残酷さの落差が凄いが、樋田毅『彼は早稲田で死んだ』によると、早稲田の旧統一教会絡みでかつ自衛隊の信者が真犯人だ。お人好しの鈴木邦男には赤報隊は無理だったか。犯人と臭わせて話題を作った。
話題作りで小銭を稼ぎ一生を終えたわけだ。古代ギリシアの思想家ディオゲネスが樽を住家としたというが、今でいえばアパートに住んで、となる。