続パスカルの葦笛のブログ

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江戸時代のイーロン・マスク中江藤樹(1608-1648)

   
江戸時代に陽明学を中国から輸入した儒学者中江藤樹(1608-1648)です。
    
                                                        (起)
実は中江藤樹は潜伏キリシタンだったという説がある。日本の肖像画の元祖は聖徳太子で手に王のシンボルの尺を持っている。武田信玄は軍配を持ち覇王とする。千利休は道を究める者として扇子を持たせている。合掌の組手をした肖像画は極めて少ない。キリスト教の祈りのシンボルだという。俗説に潜伏キリシタンは罰として中三本を切断し祈れないようにしたという。バレたら破滅するキリシタンを表明しないではいられなかった。「知行合一」。


中江藤樹(1608-1648)は本来は潜伏キリシタンであった。江戸時代ではキリスト教は弾圧されて信者としては絞首刑に処される犯罪者とされていた。


夜中夜中人里から離れて、中江藤樹は夜空に向かって、「天よ、(キリスト教を弾圧する)狂気の時代に、我を生き抜く術を与えよ」(聖書の一節)と泣き叫んだという。


イーロン・マスクの2番目の妻は、ビジネスがうまくゆかなくて、夜マスクは「叫んでは吐いていた」という。


二人は神からメッセージを求めていたのだ。天の啓示というやつだ。予言者は世間に受け入れられなくて、世間が間違っていて、自分だけが正しい確信があった。それが言葉で言い表せないのである。その苦痛である。(神と予言者との交信・対話)


                 (承)

      レンブラントの名画『トビトとアンナ』の祈りのポーズ。


中江藤樹はキリスト教という宗教を江戸幕府でも容認する教理に換骨奪胎するという野心があった。そしてそれは可能だという確信があった。


宗教は信者という人間を生かしてこそ存在理由がある。しかし仏教・神道・儒教は許可して何故キリスト教を許可しないのか。中江藤樹は宗教を哲学に改造するという野心があった。それは可能だという確信があった。


およそあらゆる思想は中国思想にあると古来から指摘されていた。インドの仏教すら中国思想に潜在していて、その言い換えがインド仏教だという説もある。中江藤樹はこの視点に支えられて、古今の中国思想を研究していたのだった。そこに行き詰めるまでの悪戦苦闘があった。


キリスト教を中国思想に換骨奪胎しなければ、自分が生きて行けないのだった。思想家王陽明の陽明学は中国思想では少数派の零細な哲学学派だった。だが中国でも公認された哲学学説であった。『哲学便覧』を利用した諸学派案内を読んで、中江藤樹はキリスト教に近い儒学を発見する。長崎の中国人に依頼して、『哲学便覧』に掲載された著作名を注文するのだった。中江藤樹はもう中国でも忘れられた王陽明の著作を収集した。王陽明の本のほぼすべての本を中江藤樹は手に入れた。そして完全読破するのだった。


王陽明はキリスト教なり、中江藤樹は遂に確信に至った。もう江戸幕府に潜伏キリシタンとは言わせない。「我は陽明学者なり」と中江藤樹は誇らしく宣言した。キリスト教=陽明学の結論に至った中江藤樹は明々白々の気持ちでキリスト教の名前を廃棄した。宗教を哲学に改造した人だった。


王陽明の哲学の第一原理は「知行合一」であった。人間は表裏一体である。これ以外にはありえない。裏表のない人間になる。考えることと行うことは同一である。知と行為は同等で、上下の差が無い。


近江聖人と呼ばれた中江藤樹は、学者であると同時に生き方の道しるべとなった。正しい道を自分から実践する人であった。当時からも大寺の高僧がいたが、必ずしも立派な人間ではなかった。立派な人間が高僧でなくてどうする。仏教でも立派な人間と高僧の一致が指摘されれてきて、良寛が出て来るのである。こういう人間論は王陽明から出て来るのであった。中江藤樹の努力の成果なのである。


                  (転)


内面が全て表面に現れる、これは西洋哲学では現象学である。認識論では本来科学者だったフッサールはそれで満足した。サルトルもフッサールを支持していて、フロイトの深層心理の存在を否定している。精神現象も全て現象するから、心理の底に残存する心理があるわけがない、と。フライパンに焦げ付いた滓が実は人間を動かす原因であるというフロイト説は容認出来なかった。


フッサールは自分の哲学に欠点があって、この部分の補完を期待したのがハイデガーであった。多分王陽明や中江藤樹のような道徳を期待したのであったのだろう。道徳の基礎づけを期待されたハイデガーは、理解不能を排除して理解の体系を構築した科学と理解不能なものまでも含めた哲学の間で、苦悩したのである。科学の手法を使うと半端者・障害者といったものを排除するしかないことになる。ユダヤ人のフーコーは、半端者の中にユダヤ人が含まれて自分が、障害者・罪人・精神病者としてヨーロッパ社会から疎外されたことが許せなかった。ユダヤ人が理解不能として科学から排除されたことが許せなかった。フーコーの思想は障害者・罪人・精神病者の異議申し立てである。同時にユダヤ人が同一に扱われたことに対する怒りがあり、民族差別をしたヨーロッパへの強烈な憎悪が見え隠れしている。ユダヤ人だってあなたと同じ人間ではないかという怒りは、ヨーロッパ文明を破壊したいという復讐心になっている。これは『哲学』とちょっと違うのではないか。私憤を公憤に混合させている所に優秀なペテン師がいる。


王陽明や中江藤樹だと科学万能が出て来ない。人間は裏表がないのを最良とする。表の優秀な科学者であれば、裏は犯罪者・不道徳者であってもかまわない。尊敬されない人間が最高の優秀な頭脳者であることは構わない。(Eテレにそんな科学者列伝のテレビがあった。アインシュタイン、ビル・ゲイツ、ジョブス、IA開発者もそんな人かも知れない。)最高の知でも人間の屑かも知れない。人間の屑が科学を先導してはいけないという思想は陽明学から出て来る。


                 (結)


この問題を担当したハイデガーは、現象学の一部門ではなくてその上にある学問であることに気づくのである。それが『存在と時間』であった。


鳥居珠江さんに「主体の行方:ハイデガーとアンリー・エー」という論文があって、彼が精神科医に影響を与えて、『存在と時間』で精神分裂症を治療する手がかりを与えたというのだ。実はフーコーとエーは精神科医の大家なのだが、仲が悪く対立した。


現代フランス精神医学の最高峰エーにハイデガーの影響が見られるという内容である。このアンリー・エーを主人公にした小説が、加賀乙彦の『フランドルの冬』であった。エーがモデルのフランス人精神科医は実は治療と称して患者の少年を性愛行為していた。今のジャニー喜多川なのである。アンリー・エーはジャニー喜多川であるという告発小説なのである。


もし加賀乙彦が『フランドルの冬』をフランス語訳にしていたら、ノーベル文学賞を受賞していたのではないか。今以上の大作家になっていたのだろう。


フランス最高峰の精神科医が患者を性道具にしていた。精神科医と人間性の分裂を加賀乙彦は許せなかったのである。医者は人間愛にあふれた人間がならなければいけない。東洋人の加賀乙彦には素朴なそういう正義感があった。それは陽明学の「知行合一」の影響でもある。西洋哲学ではこの二つが対立していて、両立する術がない。王陽明と中江藤樹は「医は仁術」となるところに「知行合一」がみられるが、西洋では医は科学で科学者の人格は問わないとしている。


フーコーとエーは実はゲイで、ガミングアウトとそうでない問題があり、エーは患者に手を出すしょうもない人だった。が、大天才の精神科医であった。ここに西洋の行き詰まり感があり文明の衰弱感がある。それを救う道が陽明学にあるようだ。


唯一フーコーに救いがあるのは素人に手を出さないゲイでゲイ同士で自己完結していた人畜無害のゲイだったことだ。それは実は彼は古風なモラリストで、フランス伝統のパスカルやモンテーニュ由来のモラリスムスだったという『落ち』である。攻撃して止まなかった偽善的なモラルを自分では堅持していた。自分で言うほど悪人や悪党ではなく、心優しい露悪趣味に過ぎなかった。