続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

ベートーベン主義者内田義彦と宇野重吉

宇野重吉は自宅には誰も上げなかったという。完全なプライベートの世界で、そこに演劇人を上げる気にはならなかったらしい。奈良岡朋子や有馬稲子も上げなかった。


この人は大変な趣味人で、地方巡業で、楽屋でダイコンとイカの煮物をしていて焦してしまった。ダイコンが真っ黒に炭化して炭になった。「家に帰ってお茶でもいれたい」とティシュに包んで持ち帰ったという。茶道に使う炭のようになったダイコンが、あまりに似ていたからだ。


この人は家で女のスカートをはいて暮らしていたらしい。男がスカートをはくといえば、花森安治が有名だが、ちょっと奇人ぽかったかも知れない。


自宅に上げる唯一の例外の人が専修大学教授内田義彦であった。彼は自宅にタンノイのオーデオセットをあつらえて、クラシックを聴くひとであった。その影響を受けて、宇野重吉は内田義彦の推薦するベートーベンのレコードをよく聞いていたという。西洋の趣味はもっぱら彼の啓もうによるらしい。意外に西洋に趣味を持ったのである。


内田義彦の主張によると、弟子シューベルトはベートーベンを完全否定した所に師と弟子の関係が現れている。あらゆる師と弟子の関係はそういうものであると考えていたらしい。


多分ベートーベンの認識には歌曲作曲家としてのみの認識しかなかったが、ピアノソナタでも交響曲でもシューベルトは師ベートーベンを完全否定しえだのである。学問の師と弟子とはそういうものでしかありえないという厳しい見方をした。


内田義彦の音楽論は死と共に消えてしまったのであるが、宇野重吉が心酔した何にものかがあったわけだ。二人の写真が残されているが瓜二つで、細身のひょうひょうとした風情が偲ばれるのである。


付記。芦谷雁之助と宇野重吉が京都の撮影所で、久しぶりに会った。「最近山下清やらないの」と宇野がいった。「はあ」と答えた。当時テレビの人気番組で「裸の大将」の主役を演じていた。放浪の画家山下清の役を演じていた。ワンパターンでマンネリを感じていたし、同業者からもうあれだけしか演じられないという噂を聞いていた。それでやりたくなかった。「人間おいそれと代表作なんて持てるもんじゃないよ」と宇野重吉からいわれた。それで迷いがふっ切れた。代表作を持てたという天命を知り、山下清役を演じる気になった。