続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

大滝秀治恐るべし、ウェーバーのコンチェルトシュトック

ウェーバーのコンチェルトシュトック(小協奏曲)という曲がある。今もってポピュラーな曲になっていないが、名曲である。


何故かフランスのピアニストのカサドジュがお気に入りで、二度ばかり録音している。二度目の録音が1952年に、セル指揮クリーブランド管弦楽団で行われている。そのレコードの発売で、付録に楽譜が付いてきた。


その付録の楽譜の終わりに「大滝秀治」と楷書体でインク文字で署名されていた。これは神田の古賀書店で購入したもので、あの俳優の大滝秀治のことか、と思われた。


ところで後日、同じ劇団の米倉斉加年のエッセーかなにかで、大滝秀治がクラシックの愛好家という記事を知ったのである。それでこの楽譜の所有者の大滝秀治が民芸の俳優大滝秀治に間違いないことが判明した。


多分SPとLPの切り替えの時代に、古本屋に放出したのであろう。その頃は売れない俳優なので、不要な物を換金したのかも知れない。


現在でもヤマハに楽譜を買いに行ってすぐ買える種類の楽譜ではない。マニアックな種類の音楽である。ドイツの楽譜屋で増刷と増刷の谷間に遭遇したら、入手に相当の困難を生ずる。それにしてもこんなマニアックな音楽をSP時代によくもレコードを買って付録の楽譜を見ながら愛聴したことに驚きを禁じ得ない。


つまり俳優大滝秀治はマニアックなクラシック・フアンだったのである。


そして遂に生涯俳優大滝秀治からクラシックという引き出しを引き出されることはなかった。怪物タレントのふかわりょうがピアノを弾きクラシック音楽に造詣が深いという才能は、彼のクラシック音楽という引き出しを出されて初めて分かるわけである。そして商売に発揮されて、目出度しである。芸域が広がった。


ところで、大滝秀治の場合は、劇団民芸の仲間の間では知られたことだが、世間には知られることはなかった。クラシック音楽の引き出しは引き出されることはなかった。長年蓄積されたうんちくが死と共にあの世に持って行ってしまったのだ。残念と言うしかない。


もう一つ、書家としての大滝秀治がいた。これはわずかに知られたようだ。性格が分かるように見事な独自の楷書を書いた。飯沢匡は富士正晴に『千字文』を所望し家宝にしたという。私ならやはり楷書『千字文』を大滝秀治に所望しただろうと思う。


リアリズム演劇で、奈良岡朋子を相手に演技し、ロープで縛られた大滝秀治のロープが解けて、目の前の観客がクスクス笑いながら演技をする。この人は一番自分の不得手な分野が演劇で、そこで勝負した感がある。どだい旦那芸なのである。旦那芸といえば伊藤若冲などはまぎでもない旦那芸の画家で、好き勝手にやった。旦那芸とは一家をなさない中途半端な芸のことだが、好き勝手が天を抜けることもある。ラビット関根が物まねした百万人のファンが作った力が、大滝秀治を名優に引き上げた。この数の威圧は誰も抗せない。専門家には何故大滝秀治が名優なんだという不満があるだろう。趣味が多くて深くて、まったくそれが生かされなかったとも言える。世間には生かされなかった才能を持つ人もいるが、伊藤若冲は只書くだけで良しとしたのだろう。大滝秀治も溢れ出る教養の趣味に遊ぶだけで満足したのであろう。