続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

野村光一

NHKFMに昔、音楽時評という番組があった。他に演劇と映画があった。ここ一カ月の音楽会を月遅れで総括批評する。


出演者は大木正興、野村光一、吉田秀和、遠山一行である。


今もって記憶に残るものが2つある。1つは、野村光一、吉田秀和、遠山一行の三人が出席した時のものだ。この時はどういうものか野村光一を吉田秀和と遠山一行が集中攻撃するのである。ある指揮者についての野村光一の批評が気に喰わなかった。ついに「私はオーケストラ(指揮者)は素人だから」と自己否定に及んだ。当時中国では文化革命があって、党の長老が盛んに紅衛兵に批判されていた。林彪ならぬ野村光一長老が、紅衛兵の吉田秀和・遠山一行に自己批判を迫られた。


今思うと野村光一が越権行為をおこなっていたことが許せなかった。音楽評論家の分際を越えて業界に片足を染めたことが三権分立のバランスを崩した。というのはショパンコンクールで10位の田中希代子が非常なショックを与えて、ここは国策で対抗しなければいけないという危機感が出た。しかし戦後は税金で特定の個人に特別扱いが出来ないことになって、民間でやることになったのが日本ショパン協会の設立であった。タテ社会の日本では先生と教え子は切り離せない。しかしショパンコンクールの出場に選ばれた教え子は先生から切り離されて、そうでないと又田中希代子の二の舞になるから、日本ショパン協会独自のシステムで教育されることになった。選ばれた生徒は鎌倉の野村光一に訓練されるのである。誰れそれはここをこう弾いているから、こう弾けと命じられる。ここで初めて欧米の水準に到達する。これで成績は劇的に変わった。本当は先生が演じる役割なのだが、レッスン教師と芸術家の差なのだろう。(またレコードを聞いて影響を受けてはいけないという意見もあるようだ。つまり先生だけの影響が可。)


ポゴレリチの妻は彼の元教師で、妻のロボットなのである。教え子は師事した教授のロボットというのは欧米の常識なのだ。サルとサル回しの関係なのだ。そのことが分からなかったのである。野村光一はショパンコンクール限定の猿回しを仰せ使った。青書生はポゴレリチは自分で考えて弾いていると考えたいのだ。考える人と弾く人と二人いるわけだ。やがて自分ひとりになるのだろう。


マルタ・アルゲリチが鎌倉の野村光一の家を訪問するという事件があった。プロコフィエフに会った日本人がいるのが信じられなかった。ピアニストになる希望が挫折してもピアノが好きだった。それが人語に落ちない専門を持つことになった。指が回らなかったが、全身ピアニストであったのだ。ピアノが弾けないピアニストが野村光一であった。