続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

フルトベングラーの『運命』1947年5月25日説と5月27日説の解決策

フルトベングラーの戦後復帰の初日が5月27日で大いに感動してしまってから、実は初日は2日前の5月25日だった。伝説に包まれて感激のバイアスを増幅して反応したら、虚実だったと知らされた。あの感激はどうしてくれるのだ。騙されて感動したのか。


今アメリカではワシントン・ポストもニューヨーク・タイムズでも平気で嘘をつくと、メディアへの不信が最高度に達している。50年日本は欧米に遅れている、早く欧米のメディアに到達したいものだと羨望していたが、今になってみると、意外に日本のほうが信頼に足ることになった。


メディアに騙され効果は、フルトベングラーの『運命』にも働いている。昨今ではこの『運命』は敬遠気味である。出処進退が疑がわれていて、どちらに感動すればいいか、正解はあるのか。


結論は、安心して下さい。従来通りに感動して下さって正しい。


                   *


5月27日がフルトベングラー戦後復帰演奏会の初日だった資料があったのです。


その資料の根拠は、『音現ブックス2、フルトベングラーと巨匠たち』付属ディスコグラフィーです。従来から指摘されていたベルリン・フィルの演奏会の同時録音の資料で、本公演(本番)はRIAS(アメリカ軍占領地区放送)西ドイツが録音し、ゲネラル・プローベ(総練習)は自由ベルリン放送・東ドイツが録音していた。1952年12月7日の『エロイカ』はゲネ・プロを自由ベルリン放送(東ドイツ)が録音する。1952年12月8日の『エロイカ』の本番はRIAS(西ドイツ)が録音する。この事実を法則にして、ディスコグラフィーを洗い出すと、5例のゲネ・プロと本番の二種類の録音が存在することが判明した。その淵源は戦前にまでたどり着くのだ。そして見事にゲネ・プロと本番を分けて録音していることに驚くのである。


1 1932年4月17日 ベートーベン交響曲9番(ゲネ・プロ)ドイツ放送録音
  1932年4月18日 ベートーベン交響曲9番(本番) ドイツ放送録音
  *ただし前者全録音で後者抜粋なのは疑問が残る。


2 1943年6月27日 ベートーベン交響曲4番(ゲネ・プロ)RRG録音
  1943年6月30日 ベートーベン交響曲4番(本番)ドイツ民主放送録音
  *従来は27ー30日の明記になっていたが、分けてみた。ドイツ民主放送、というの             は録音の担当者ではなく戦後ソビエト占領地区の資料室にあった録音のこと。そこから推理すると、逆が正しいのかも知れない。27日がゲネ・プロ(東ベルリン所蔵録音)、30日が本番(RRG録音)。 


3 1947年5月25日 ベートーベン交響曲5番(?)RIAS録音
  1947年5月27日 ベートーベン交響曲5番(?)ドイツ民主放送録音


4 1949年3月14日 ブルックナー交響曲8番(ゲネ・プロ)自由ベルリン放送録音
  1949年3月15日 ブルックナー交響曲8番(本番)RIAS録音


5 1952年12月7日 ベートーベン交響曲3番(ゲネ・プロ)自由ベルリン放送録音
  1952年12月8日 ベートーベン交響曲3番(本番)RIAS録音


以上5種の演目が見つかった。戦前は一貫して帝国放送が録音を担当していたわけだが、戦後は東西ベルリンに分かれたために、ゲネ・プロと本番が東西ベルリン放送局が分担することになった。


問題の1947年5月25-27日の演奏会である。


まず、ゲネ・プロは東ベルリンの自由ベルリン放送が担当し、本番が西ベルリンのRIASが担当したと言ったが、ここではこの法則に反して何故かドイツ民主放送(東ベルリン)が本番を録音していることに疑問がある。


法則を厳守するならば、次のようになる。


3 1947年5月27日 ベートーベン交響曲5番(ゲネ・プロ)ドイツ民主放送録音
  1947年5月25日ベートーベン交響曲5番(本番)RIAS録音


こうなれば、ゲネ・プロは東ベルリンの放送局が録音する慣例に整合性がある。


多分1947年5月27日が誤記なのだろう。27日は24日が正解だったのであろう。


                *


ディスコグラフィーをながめていると、(DGG LPM 18724  61.11D)なる記録が目に入る。1961年にはグラムフォンで発売されたという意味なのだろう。14年後のことだ。
フルトベングラーの戦後復帰演奏会の凄まじい反応は衆知のことだ。そこでドイツ・グラムフォンはRIAS(西ベルリン)の本番の録音は保留して、東ドイツにある放送局の録音をレコード化したくなった。何でも有りの東ドイツに巨額の著作権料を払ってレコード化したのだろう。後は著作権の訴訟裁判の回避策でデーター捏造をした。1947年5月27日は架空の日で、訴える方がそれを証明しなければならない。古来より無いものの証明は不可能とされている。


5月25日の本来の崇高な本物の演奏会は実に静かである。


おそらくベルリン・フィルの定期演奏会の枠内で、聴衆は定期演奏会を予約できるベルリンの上級市民に限られていた。熱狂と冷静の驚くべき落差はそういうことなのだろう。普段は聞いたこともない、貧しくて聞けない市民が、ゲネ・プロの有料演奏会に殺到したのだ。


そこで、例の第一楽章のオーボエのカデンツで、初日はスラー通りに吹いているのに、本番では何と息がつけなくなって、最後のフェルマータの前で息をしてしまっている。あれは芸術表現なのかも知れない。その不思議さがある。謎は数限りなくある。