続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

ポランスキーの『オフィッサー・アンド・スパイ』町山智浩・内田樹対談を見て

町山のカフカ文学はユダヤ人の被害妄想癖なのだという指摘が凄い。変身願望はそこから逃げたいという願望である。絶望名言の人は、カフカは人間が芋虫に変身して会社や学校に行って嫌な仕事をさせられることを拒否する口実の変身願望なのだという指摘と共通する。


町山はポランスキーは何処に行っても嫌われる性癖(少女愛)を持っていて、これとユダヤ人の何処でも嫌われるという被害妄想が重なり、その二重苦を表しているという。


今回の彼の新作も長年のテーマが表れているという。ポランスキーはフランス人のユダヤ人差別が一貫していて、それがこの映画になっている。内田は右翼の反ユダヤ運動は親ナチになったが、ドゴールの登場で全員がドゴールに乗っかって歴史修正をするという。


但し腐りきったフランス陸軍が一人の規律違反を放置出来ないピカール中佐の登場で組織が立て直されて正常な組織になり生き残る。個人の役割がこんな効果があると内田樹が絶賛する。安倍の忖度を拒否して覗き部屋に行ったという性癖で追放される文部科学省事務次官はピカール中佐かな。安倍の悪辣なのは賄賂を貰わないで友情で斡旋して利得罪に掛からない点だ。法律の枠を超えた遠くで斡旋利得罪をしている。今の法律の枠に掛からない。あれしてくれと現金を持参して、不正行為をしたのが斡旋利得罪。斡旋は父安倍で利得は子安倍が回収していると、永遠に法律違反しない。長い目で見る安全な妙案を発見したのだろう。


この映画の極みは最後にピカール国防大臣とドレフュスが対面する所で、冤罪が晴れたけれども生活が苦しくて改善してくれと要望すると法律改正しないと出来ないと拒否する。一方はドレフュス事件で大臣に出世するが他方は長い冤罪事件に巻込まれて人生を棒に振る。この事件がなかったらドレフュスは高級軍人の生活と年金を得た満足した人生であった。なのにユダヤ人に生まれて損した人生を送るという被害妄想を感じる。ポランスキーはこれが言いたかったわけだ。ピカールはユダヤ人差別を利用し英雄となり出世した。ユダヤ人はいずれにしても損な役割をする。被害妄想こそユダヤ人の寄る辺なのである。


余談だが、アムネスティーという人権団体がクラスター爆弾を使用していると告発したとNHKが報道した。今欧米はU国に和平交渉の会談に参加しろと圧力を掛けて、全土回復を目標にしているゼ大統領を拒否している。同じ日のNHKの解説で、上智大学の東大作は2・24以前の支配地域が和平の前提と解説している。全土回復はないわけだ。これが欧米の考え方になっている。欧米はU国に圧力を掛け、戦争の悲惨さの聞く耳を持たない。兵器も報道も拒否している。とんでもない団体を使って戦争の悲惨さを訴える、しかない。欧米はU国の傲慢だとする。これは条件闘争でしょ。凄い話だ。場合によってはゼ大統領の思い道りになるし、今死んでいる人は犬死ということにもなる。ゼ大統領の責任にもなる。


もっと犠牲が出てやっとゼ大統領が和平交渉の席に付く。野村大使が帰国挨拶にルーズベルト大統領に会うと、「残念なことにお互いに戦争することになったが、次は同盟して戦いましょう」と言ったという。訳が分からなくなったという。