続パスカルの葦笛のブログ

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バイロイト音楽祭1965年のクレンペラー

1965年のバイロイト音楽祭にウィラント・ワーグナーに招待されたクレンペラーは、どんな演目を見たか。


『パルジファル』指揮クリュイタンス
『リング』指揮ベーム
『タンホイザー』指揮クリュイタンス
『さまよえるオランダ人』指揮スウィトナー


さて、以上の中でクレンペラー.はどれを観劇したか。悩ましい問題である。


誰の指揮も見たくなかったのではないか。


そこで、翌年の1966年のバイロイト音楽祭の演目に気になる演目が目に入る。


『パルジファル』指揮ブーレーズ


ブーレーズ指揮の『パルジファル』の間違いではないか。かねてよりブーレーズを高く評価していたクレンペラーはこれを見たかった。


ちなみにブーレーズは1966-1968年、1969年がシュタインで、1970年にブーレーズが『パルジファル』を指揮している。クナッパーツブッシュの頂点に代わる新時代の演奏ということになる。


ところで1966年夏、ウィラント・ワーグナーは体調をくずしてミュンヘンの病院に入院して、10月には死んでしまった。そうなるとこの仮説は弱くなる。


まして1966年のバイロイト音楽祭は、ブーレーズ指揮『パルジファル』が目玉で、なおかつクレンペラー指揮バイロイト祝祭管弦楽団の演奏でベートーベン交響曲9番という超目玉の演目で開始するという盛り上がりの手筈であった。ウィラント・ワーグナーはそういう来年の音楽祭の盛り上がりを考えていたわけだ。


1965年クレンペラーはウィラント・ワーグナーの招待でバイロイト音楽祭を訪問し、来年の1966年バイロイト音楽祭の開始日の記念演奏会ベートーベンの第九の演奏を快諾する予定であったわけだ。この時のクレンペラーはバカ者であったに違いない。こういうクレージーの連中の園で、出演交渉に明け暮れたのがウィラント・ワーグナーの一生のおよそ非生産的な活動であった。裏ではこの上ない快楽・悦楽もあった。ベームをお払い箱にした快感はこのうえない逸楽であったろう。ウィラント・ワーグナーもまたクレージーな連中が住む園の住民なのだから。