続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

直木賞窪美澄『夜に星を放つ』と短編の冴え

窪美澄の『夜に星を放つ』の二作目「銀紙色のアンタレス」が、短編集で一番技巧が冴えたものであろう。なぜなら登場人物にわざとアンタレスと間違いさせている所に作者の意図があり、そうしないと小説が成立しないからである。この聞きなれないアンタレスという名前を使うところに読者をだまして小説に引き入れる作為もある。


アンタレスがサソリ座という星座の別名であり、よほど知られた名前であるが、それを使用したら読者は美川憲一の『さそり座の女』を連想し、登場人物の「たえさん」をサソリ座の女と連想させてしまう。アンタレスがサソリ座であっては困るわけである。


それでは作者にうまく騙されて小説世界に入る。
主人公の16歳の高校生真は冒頭から8月8日が誕生日だと知らされる。旧暦だと一カ月遅れになり、7月7日の七夕に当たる。そうなのだ。天の川を挟んで織姫星と彦星が一年に一度再会する日なのだ。夏休みで田舎の祖母の家に帰省している。数日後幼馴染の朝日が遊びにやって来る。海岸に行って海水浴をする。この海岸には竜宮の洞穴がある。恋人たちの聖地になっている。そこで赤ん坊を抱いている女性を見かける。高校生の真はその女性に声を掛け「いくつですか」。女性は子供だと思い「もうすぐ一歳」と答えた。真は女性の年を尋ねたのだと悔しがる。


祖母の家にあの女性が訪ねて来た。二人は知り合いであった。まもなく幼馴染の朝日が到着する。そして朝日が男ではなく女であることが判明する。この作為は旨い。この設定には小説の難があるが、良しとしよう。そして朝日から真は愛を告白されるが、真は好きな人がいると拒否する。子持ち女性のことだ。青春は年上の女性にあこがれる。


祖母が熱中症で入院し、見舞いに来た「たえさん」と奇跡的な再会をする。明日東京の夫が迎えに来るという。二人は病院から帰り、会話を楽しむ。途中海岸にさしかかり、「竜宮の洞穴に行ってみようか」と誘われる。竜宮の乙姫様と浦島太郎、天の川の織姫と彦星、つまり恋人同士の設定に入る。洞穴から空を見て、たえさんが「あの星はアンタレスね」という。時間が昼間から星の見える夜に推移しているのに驚嘆する。作者に騙された。何時間も二人は洞穴にいたのだ。冴えた筆力だ。「違いますよ。あれは銀紙色に輝くアルタイルです」と真が答える。「赤く輝くのはアンタレスです」「私は嫉妬深くて執念深いサソリ座(アンタレス)の女なんだ」と告白する。サソリ座のたえさんに真は食べられてしまったことは小説の行間にしか語られていない。コレットの『青い麦』以来年上の女に開眼させられるのは青春小説のテーマなのだ。脱帽である。