続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

直木賞窪美澄『夜に星を放つ』と現代の童話

直木賞窪美澄『夜に星を放つ』の最後の作は『星の随に』である。星のまにまに、と読ませるらしい。もとより現代では日常的には使われていず死語である。意味は「てんでん、バラバラ、勝手に」ということである。人間は各人てんでん勝手に生きて行動している。そしてバラバラに生活している。そして重要なのは、現代人は自分は多分不幸な運命の下に生まれて、ろくな死に方はしまいと自覚して生きているということだ。つまり勝ち組ではなく負け組に属していて、負け組の負け犬で野垂れ死にするに違いないと思い込んでいる。


不幸星のてんでん・バラバラ・勝手に生きている現代人だが、まさにアナーキー(無政府)状態で生きていながら、天体の星座(ステラ)は正確な法則に支配されて乱れることもなく運行しているとカントはアナーキズムを論破した。だから人間には星座のような厳格な法則に支配された道徳律があり、好き勝手に生き弱肉強食の論理に支配された動物ではないと人間性の優位を説いた。


作詞家のなかにしれいが満州から引き揚げて親もなく兄弟もなく木炭屋に住み込み従業員になって就職して生きていた。自転車で木炭の俵を配達していた時、バランスを崩して自転車を転倒し、積み荷の炭が道路に散らばった。するとてんでんバラバラに他人を無視して自分だけのことで生きていた人々が木炭屋の小僧なかにしれいの所に寄って、散らばった炭を拾ってくれたという。そういう人間たちの情けに助けられて社会は支えられている。社会は無法地帯ではない。人間という星は自分だけでてんでんバラバラに生きているように見えながら、決して無法則に動いているわけではなく、人間性の法則の上を一秒の乱れもなく進行している。カントに教えられ、窪美澄によって改めて、人間はより良く生き、他人の善意に支えられて生きているということを教えられた。「星の随に」という題名がいい。この小説の登場人物は垢の他人がなかにしれいに近寄って散らばった木炭を拾ってくれた善意を寄せる物語である。


主人公の小学校四年生の海が、父の再婚でできた継母の渚さんを「母さん」と心では呼びたいが呼べない。(伏線)すべて善意に満ちた人々が善意を示しながら、誤解やボタンの掛け違いで、しだいに悲劇の谷に転落してゆくしかない必然性に落とされる物語でもある。窪美澄が星の随にと呼ぶ所以である。現代人という不幸星は自分勝手に自分は不幸の運命だと思い込んで不幸を選択して生きている。安心して下さい。伏線は回収され落ちが待っています。