続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

クレンペラーの指揮の特徴とは何か

今『クレンペラー・ドキュメンタリー』(フィロ・プレフスタイン制作)がユーチューブでながさられている。日本語字幕もあり立派なものだ。


『オットー・クレンペラー書簡集』の編者であるアントニー・ビーモントという人のインタビューが出ている。


ワルターが美しさを追及しているのに対して、クレンペラーは「より強い表現、パンチと表現力を特徴としている」という。とりわけ晩年のクレンペラーの演奏は遅いテンポが加わり独特の演奏に変化した。言葉を変えれば『異化作用』ということだ。


娘のロッテ・クレンペラーの手助けで、大ヤケドをして腕が上がらくなり、以前の早いテンポが振れなくなった健康状態で、クレンペラーはポータブル・プレーヤーの速度変化のボタンを調節して、今のクレンペラーの腕の上がる・指揮が振れる速さを模索したと思う。LPレコードをプレーヤーに掛けて、動かせる状態を模索したはずである。正常の速度ではとても腕が動かせない。どんどんプレーヤーの速度を落としていって、クレンペラーの動く腕の速度に合わせていった。もはや通常の演奏ではない。だが、しかしこの遅いテンポでしか指揮をするのは不可能であった。


クレンペラーの演奏は大ヤケドで自由に動かない彼の上下に動く腕の動きに合わせて出来たものだ。


1960年11月、クレンペラーは以前のような時の速いテンポで演奏したくなり、シューベルト交響曲9番の録音をした。大火傷以前のテンポを取り戻した。が、結果は愚演に終わった。この音楽の性格はクレンペラーに合った音楽だった。最晩年の遅いテンポで演奏したら大成功したはずである。迷うクレンペラーがいる。


1961年、ヨハン・シュトラウスの『こうもり』序曲を録音した。大成功である。極端に遅いテンポから帰納する音楽の構造が透けて見える。通常のヨハン・シュトラウスではないが、確信犯で犯罪を犯す凶悪犯のクレンペラーがいる。音楽における暴力の肯定である。こんなのはヨハン・シュトラウスではないと拒絶する常識を打破するのが目的なのだろう。つまりブレヒトの『異化作用』だ。音楽に『異化作用』を適用した好例である。