続パスカルの葦笛のブログ

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ワインガルトナーの考証の凄さ『レオノーレ』序曲2番にホストホルン使用

今ユーチューブで、クレンペラーの『レオノーレ』序曲3番のフィルハモニア盤とデンマーク放送響盤と立て続けに堪能した次第で、ワインガルトナーの演奏が思い出された。


ワインガルトナーの演奏の凄い点は、ホルンではなくポストホルン(駅馬車の警笛)で演奏していりところだ。モーツアルトはポストホルンの為の音楽を作曲しているが、結果としてはホルンで演奏されるわけであるが、当時人々は色々な思いでポストホルンを聞いていたわけである。


何でワインガルトナーは変な事をしているのかなと疑問に思うと、罪人フロレスタンを解放するためにやって来る大臣は駅馬車で登場するわけである。


『レオノーレ』序曲3番で、解放の軍隊が行進して来る時遠地から小さくトランペットの音が聞こえ、やがて近くで大きなトランペットの音が聞こえる。作曲家ベートーベンはいつの間にか大臣を乗せた交通機関を駅馬車から軍隊に変容してしまっている。辻褄が合わないが効果的である。今まで誰一人その不都合に気がつかない。


そこでワインガルトナーは大臣を乗せたのは、軍隊の馬ではなく駅馬車だと指摘する。軍隊に守られた馬車という解釈も成立するが、そう解釈すれば二つは矛盾しない。


しかしワインガルトナーは町と町を結ぶ定期駅馬車に大臣が乗っていると考える。そう考えると大臣が定期駅馬車に乗るかという疑問もある。歌劇『フィデリオ』の台本にある、大臣が降りて来る馬車は駅馬車としか考えられない。ゾラの名作『脂肪の塊』に登場する駅馬車は雑多な人間が乗り、社会の最低の男女だけが人間の声を発するという落ちだ。そうすると大臣も乗り合わせるのかな。


ワインガルトナーの指揮した『レオノーレ』序曲2番は、大臣が降りて来た馬車は乗合馬車で、ベートーベン指定のホルンを中止して、あえてポストホルンで演奏させたところに、19世紀のヨーロッパの町々を駅馬車に乗って往来したワインガルトナーならでわの考証があったわけだ。そう思って聞くと、時代に近ずけて演奏する方法はピリオド奏法以外にもあるわけだ。


ところでワインガルトナーは数々ある『レオノーレ』序曲で、2番が一番優れた所以も語っている。これはちょっと異論があるが、如何なものか。