続パスカルの葦笛のブログ

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小沢征爾指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団のブラ1ザルツブルグ音楽祭1976年

この演奏から後期小沢の演奏が始まる記念碑的演奏である。それまでは現代音楽の旗手だが、決して古典派の作品を得意としていたわけではなかった。現代音楽が小沢の左顔だとすれば、古典派の音楽の小沢の右顔は付け足しのようなものだった。全体像は現代音楽の旗手だ。それで世に出た人だからだが大成功だ。


ところでマルケヴィッチではないが、戦後ストラヴィンスキーの『春の祭典』の指揮で売り出すと、それ一点張りで指揮に呼ばれる。もうマルケヴィッチというと『春の祭典』でしか呼ばれなくなった。指揮者としてはレパートリーが狭まった。やりたいように指揮させてくれるのが日本の日フィルで、そんなわけでよく来日したわけだ。日フィルと録音したものが満たされないレパートリーを満たしたので、フランスでもマルケヴィッチの重要なレパートリーの録音になっている。ベートーベン指揮者として復活する矢先に物故して、悲劇の指揮者だ。あれだけのベートーベン研究をしたのだから、『春の祭典』など切り上げて、ベートーベン指揮者になるべきであった。


うまい具合に切り上げたのが小沢征爾だった。現代物で終わるところを、古典派の音楽もレパートリーに入れた。右翼左翼両翼を得意にした人は小沢征爾ただ一人だ。


このドイツの名門オーケストラで、小沢征爾は何とブラームスの交響曲1番で勝負をした。無残に敗北するのが大方の予想だろう。数々の巨匠の下で演奏してきたブラームスの1番、伝統の中で彼らの受け入れられる形でひっかき傷を残せたのだ。


第四楽章、48-49小節のトロンボーンで、大胆なテヌートを要求して見事な演奏を遂げた。
小沢征爾はドレスデン国立歌劇場管弦楽団のトロンボーンに大胆なテヌート(音符一杯引きずつて)で演奏させた。ここがこの演奏の白眉となったのは言うまでもなかろう。


さらに366-367小節のテインパニで2つの音符にポコ・リテヌート(少しテンポを落とす)を掛けてテンポを落とした。
小沢征爾はこの箇所でテンポの落としを学んだはずである。


後年のシャルル・ミユンシュ由来のテンパニ加筆がないのは、むしろ初々しい感じすらするのである。ボストン交響楽団でミユンシュの伝統を謙虚に学んで今日の小沢征爾があるわけだが、そこへ至る道の第一歩がこの演奏なのだ。もっと伝統的解釈を学ぼうとする謙虚さと、それなるが故の成功を勝ち得た。この成功体験がさらなる伝統回帰を促進させた。


伝統を受け入れることで小沢征爾はさらに成長した。そういう稀有な人でもあったわけである。(小沢征爾指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団1976年8月6日ザルツブルグ音楽祭。ユーチューブ公開)