続パスカルの葦笛のブログ

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ウィーン・フィルの呪われたベートーベン交響曲全集の歴史

今の所最も理想形のフルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルのベートーベン交響曲全集。


1 ワインガルトナー指揮ウィーン・フィルのベートーベン交響曲全集(1927-1938)。
 当初はウィーン・フィルで全曲録音する予定であったが、ワインガルトナーの意向でロンドンのオーケストラを使用して完結した。ベートーベン没後100年記念の記念事業であった。ともかく一人の指揮者でなおかつベートーベンの権威者で全集が完結したことで、ベートーベンの標準的な演奏が確立された。


2 フルトヴェングラー指揮ウィーンフィルのベートーベン交響曲全集(1948-1954)。
 この時代には、一人の指揮者でベートーベンの交響曲全曲を演奏することに意義を持たなかったので、得意な曲ばかり演奏した。不得手や不人気な曲は避けて一向にかまわなかった。8番はストックホルム・フィル、9番はバイロイト音楽祭管弦楽団を使用している。それでもフルトヴェングラーの演奏した時代を同じ時代に狭めて、演奏様式が変化しないような配慮が働いているのがありがたい。


3 シュミット=イッセルシュテット指揮ウィーン・フィルのベートーベン交響曲全集(1965-1969)。
 長らくベートーベンの交響曲のステレオ録音で標準的な演奏の地位を獲得していた。録音して4年たらずで没したシュミット=イッセルシュテット(1900-1973)は、これから大いにベートーベンの権威筋になるところであった。来日して読響を振り、それが毎日テレビで繰り返し再放送されたので、最も親しまれた指揮者になった。それでこの人が足が悪わったことも知られることとなった。


4 ベーム指揮ウィーン・フィルのベートーベン交響曲全集(1970-1979)。
 どうもバーンスタインの全集完結に刺激されて、既存の録音を穴埋めして全集を完結したようだ。しかし演奏は日本人の最も好む真面目な演奏で、伝統に根差したオーソドックスな解釈が受けた。


5 バーンスタイン指揮ウィーン・フィルのベートーベン交響曲全集(1977-197 9)。
 カラヤンと並ぶカリスマ指揮者が、ヨーロッパに進出して、カラヤンと対決した演奏と呼ばれた。実はニューヨークで音楽評論家ショーンバーグとの確執が問題となり、何をやっても評価されなくなっていたとい深刻な問題があった。活動の場をヨーロッパに移さなけならないという事情があった。レコード録音と生演奏とでは演奏が異なっていたが、ここでバーンスタインの生演奏が即録音として聞けるようになった。これが最大の魅力であった。
 バーンスタインはウィーン・フィルのベートーベンの交響曲演奏が、フルトヴェングラー以降疎遠になっていて、ベートーベンの演奏を知らなくなっていたとまで喝破して、自分は彼らにベートーベンの演奏を教えたとまで言っている。


6 ラトル指揮ウィーン・フィルのベートーヴェン交響曲全集(2002・4・29-5・17)。
 ラトルのウィーンでの連続演奏会のライブ録音である。楽譜は当時完成されたベーレンライター版の楽譜が使用された。ラトルは本来がベルリン・フィルの常任指揮者なのだから、ベルリン・フィルを使用してやればよいわけだが、ベルリン・フィルは保守派で新しい楽譜には懐疑的であった。つまりベーレンライター版を拒否されたらしい。旧弊のブライトコップ版の演奏で十分という考えであったようだ。既に両者は2006年から確執と対立が生じていて、新楽譜をめぐるラトルとオーケストラの確執が決定的になり、2018年の辞任に向かう訳である。そこでウィーン・フィルでベーレンライター版のベートーヴェン交響曲全曲演奏会ということになった。そのライブ録音であった。もう両者の溝は埋められなくなるわけだ。


7 テイーレマン指揮ウィーン・フィルのベートーベン交響曲全集(2008・12-2010・4)。
 テイーレマンはベルリン・ドイツ・オペラの後、2004-2011年ミュンヘン・フィルの常任指揮者となっていた。2012年からドレスデン国立歌劇場の指揮者になる。
 2002年から小沢征爾がウィーン国立歌劇場の音楽監督となり、本来は小沢征爾がこのベートーベンの交響曲全集の指揮者になるはずであったという説がある。なるほど当時ウィーン・フィルで小沢、メスト、テイーレマンが紹介される時、小沢とテイーレマンとの間で目を合わせない場面があった。両者には鋭い確執があったようだ。この時ベートーヴェンの楽譜をティーレマンは旧来のブライトコップ版を使用することに固執して、ウィーン・フィルと対立したようである。これを根に持ったティーレマンはウィーン・フィルと距離を持つようになった。ウィーン・フィルよりドレスデン国立歌劇場を選ぶことになる。
 余談だが、ティーレマンとベルリン・フィルがベートーベンの楽譜ではブライトコップ版を支持しているところを見ると、ペトレンコの後任はティーレマンということになりはしないか。ペトレンコはテイーレマン就任の中継ぎと考えれば、突如としてペトレンコが出現した理屈が分かる。小沢より20歳も若いテイーレマンは、この時ベートーベンの交響曲全集は小沢に譲るべきではなかったか。功績を急ぎ過ぎたのだ。自然の成り行きにまかせられたら、小沢がウィーン・フィルのベートーベン交響曲全集の指揮者になっていたともいえるのである。惜しい気がする。


8 ネルソンス指揮ウィーン・フィルのベートーベン交響曲全集(2017・3-2018・3)。
 2020年はベートーベン生誕250年記念年で、その企画物であった。パンデミックと指揮者の実力低下で惨憺たるものになったが、ベートーベン没後100年記念の交響曲全集も惨憺たる結果であったのである。


さて、希望の星メストだが、クルト・ヴェスはフルトヴェングラーの後継者と言われたほど嘱望されたのだが、メストもクルト・ヴェスの二の舞か。