続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

知の巨人外山滋比古「家ついて行っていいですか」出演か?

『思考の整理学』で有名な外山滋比古(1923-2020)が12チャンネルの「家ついって行っていいですか」に出演したようだ。死去する数年前、小岩井駅前のインタビューで尋ねられていたようだ。かなり体格の良い人で、フチ眼鏡を掛けていたので、間違いないと思う。この人死ぬ年までNHKにも出演していて元気だった。


ただもっと高級な土地に住んでいて、小岩井駅近辺にというのが怪しいと思った。しかし当然というべきか、東京の人らしくプライベート不介入で、自宅訪問は拒否された。


知の巨人外山滋比古の書斎がどんなものだったか、見て見たい思いがある。スタッフにインタビューを見てもらって、確認してもらいたいほどだ。ついでに書斎訪問といきたい。思想家林達夫の蔵書は没後処分されたという。書くこと少ない林達夫の文章だけでは、この人の全体像をとらえるのは不当だろう。巨大な蔵書を背景にしなければ捉えられないひとだ。弟子に君と会って話すには、もっと十倍読まなければ話せないと、晩年は面会を拒否したという。そんな一途な人は現代では失われている。


ジャーナリストの立花隆は、残るのは『田中角栄研究』一冊だけだろうが、表面的には八面六臂の活躍をした人で、それを支えたのが有名な猫ビルの書斎の自慢の蔵書だった。NHKの没後の取材では、古本屋によって一冊残らず処分された姿が放送された。その点では潔かった。深い意味は分からないが、今有名学者の蔵書はどこの大学でも引き取らないと聞く。重複しない千冊が通り相場らしい。その点は立花隆は偉かったか。


付記。
余り立花隆と親族の橘孝三郎(1893-1974)の関係が知られていないが、馬のサラブレッド戸籍を見ると名馬は名馬を生むように、人間もそうらしい。知的にも優秀な家系であることが証明されるが、それを含めて人騒がせの家系でもある点が見逃せない。戦前行動右翼の人物の子孫が、戦後は左翼過激派になっている点が見逃せない。戦争協力した教師は、戦後反戦平和で反転しているが、底流では一貫性がある。こういう人物が常に時代の子を作る。人騒がせの家系は代々人騒がせの人物を輩出していることを、見逃している。橘孝三郎は満蒙開拓団の生みの親である。この人がいなかったら満蒙開拓団は生まれなかった。東条英機の息子がテレビ朝日の社長になる。反省して日陰の人生を送って欲しものだが、どうしても日向で活躍したい。そういう遺伝子があるわけだ。しかも右が左に転じて活躍する。反日の政治家江沢民の父は上海で日本のスパイの親玉だったが、それを隠すために反日運動の総帥になった。江沢民も人騒がせの家系だったようだ。