続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

ラベル自身の『ボレロ』初演は某日本人作曲家の前座だった。

日本の作曲家高木東六(1904-2006)は、当時パリ留学中で、ラベル自身の指揮で初演に出会っている。


ラベルの伝記では初演は絶賛されたことになっている。高木東六は、回想録で聴衆の半分は半信半疑で扱いに困惑していて、半分は否定的な反応であったという。当時の聴衆には理解出来なかったのだ。


実はこの演奏会はモーリス・ラベルの新作(『ボレロ』)発表会ではなくて、某日本人作曲家の新作発表会で、誰でも知っている有名作曲家であった。後半のメイン・プログラムで、当時フランスの三大指揮者ピエール・コッポラが指揮してオーケストラはラムルー管弦楽団であった。こんな大家によって紹介されたのかと驚きである。さらに驚くべきは、この作品は某日本人作曲家の作品目録から廃棄された。当時一流の指揮者コッポラが取り上げられるべき作品として、決して標準以下の作品ということはなかろうと思う。自分では大層気に入らなかった作品という理由なのだろう。


私の推察では、薩摩治郎八に作品上演の期限を切らされていて、この演奏会までに完成を求められていて、場やむを得ず嫌々完成させた。それが腹立たしかったに違いない。


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高木東六は、1928年にフランス留学をしパリ音楽院でピアノをアルマン・フェルテに師事したが、スコラ・カントルムに移りヴァーサン・ダンディ(1851-1931)に作曲を師事した。1932年に卒業して帰国した。


1928-1932年のフランス滞在期間に、高木東六はラベルの『ボレロ』初演という大事件に遭遇したわけである。時は1931年1月であった。


ラベルは1928年10ー11月に『ボレロ』を作曲した。1928年11月22日にパリ・オペラ座でイダ・ルービンシュタインによって上演され、一年間の独占上演権を得た。1929年11月に独占上演権が切れたが、全く演奏する機会が与えられず、二年後の1931年1月にラベル自身で演奏会初演された。当時のフランスでは在野のどうでも良い音楽家であった。ということで、この新作は引っ張りだこで上演されたわけではなく、むしろ何処からも上演されなかった。バレエ公演の挿入曲で、真価を世に問うていなかったわけだ。それを見かねた薩摩治郎八がラベルに作品発表の機会を与えたというのが私の推察である。この音楽はラベルの自作自演のレコードが存在するが、やはり薩摩治郎八の金でレコード録音されたと推察するのである。


ラベル作曲『ボレロ』ラベル指揮ラムルー管弦楽団
某作曲『某作品』コッポラ指揮ラムルー管弦楽団


1931年1月当日演奏会の作品が実はレコード録音されているのである。演奏会の費用はもちろん薩摩治郎八で、同時に当日のゲネプロを一発録音したレコード制作費も薩摩治郎八の金だというのが私の推察である。一流の指揮者と一流のオーケストラでレコード録音された二作品、ラベルにも某日本人にも出せる金ではない。薩摩治郎八の金でラベル自作自演『ボレロ』レコードが残ったというのが凄いのだ。