続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

グレン・グールドと『草枕』(1)

1964年コンサート活動から引退しスタジオ録音だけになったが、1967年カナダのアンティゴニッシュからトロントに帰る列車で、同じ列車に乗車したフォレイという大学教授が自己紹介し話してもいいかととずねてきた。グレン・グールドは了解し、彼と雑談を始めた。その話の出だしが今読んでいた英訳された漱石の『草枕』についての要約であった。


『草枕』はその話の内容から、『三角形の世界』という風変わりな題名に変えられていた。演劇では舞台上に俳優が歴史事件から浮気話まで人間模様を演じているのだが、それを完全に第三者の立場で傍観しているのが観客だが、それで終わらない。観客が同情したり反発したりするから、演劇が成立する。また観客に刺激されて俳優が良い演技をしたり、その反対になったりする。この世界は当事者ばかりか、関係のない第三者を巻き込んで成立する三角形の世界である。そして良くもなれば悪くもなる。


コンサート活動否定論者のグレン・グールドが挫かれるような東洋の名も知らない小説家の議論が新鮮に映った。


人と違うことこそ素晴らしい。「演奏会の聴衆は音楽家が失敗することを探し求めていて、それを喜びとする血に飢えた批評家と化し、ミスを発見して喜ぶようになった。音楽家は失敗を恐れて志を失った芸人に身を落とした。演奏家は技巧や才能を黙らされている。演奏家と聴衆は本来平等な関係であるべきだ。」そうしてグレン・グールドは演奏会から決別した。


グレン・グールドはテクニカルなプロフェッションを22才で極め、若すぎて栄光とゴールを手にしてしまった。人生のゴールが人生の初めに到来してしまったのだ。年齢が至ってたどり着く境地が普通の人生だが、テクニカルを極めた結果人生が若いままだった。人生が芸術に追いつかなかった。『草枕』と出会ったおかげで人生の秋に出会ったのである。人生の秋を迎えた。よく練られた逸脱をすることが出来そうだった。それからまもなく『ゴールドベルク変奏曲』再録をおこなった。コンサート活動再開の兆しを示した中、人生は断たれることになった。