続パスカルの葦笛のブログ

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グレン・グールドと『草枕』(2)グールドとバーンスタインの対決

1962年4月6日のニューヨーク・フィル定期演奏会で、グレン・グールドとバーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルでブラームスのピアノ協奏曲1番が演奏された。演奏開始前に前代未聞のバーンスタインのスピーチがおこなられて、グールドは舞台裏で苦笑していたという。今ではそのスピーチ全文すら入ったライブ録音が公開されている。


「心配しないでください。グールド氏はちゃんと来ていますから。これから皆さんが聞くのは正統的なブラームスのニ短調協奏曲ではありません。私がこれまでに聞いたことのあるどの演奏とも異なったもので、テンポは遅いしブラームスの指示した強弱から外れています。こんな演奏は想像も出来ないものでした。グールド氏の構想に私は賛成していませんが、彼の考えを尊重しました。・・・ソリストの考えに賛成しませんがそれは有りだなと言うことが、これまでに一度ありました。この間のグールド氏との共演でした。二人の見解の相違は大きいのですが、それを説明しておきたかったのです。」


こうしてブラームスのピアノ協奏曲1番が演奏されたのだった。その演奏は賛否両論で物議をかもしたのは言うまでもなかった。長い間プライベート盤でしか入手できなかったが、今では正規の録音が売られている。


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見解は相違していたが有りだなと思った演奏が、この前の共演であった。これは何だったか。二人の共演を調べて見ると意外な発見があった。


バッハ作曲ピアノ協奏曲1番の第一楽章が、どうも1957年4月11日に録音されているものに、「この間のグールド氏との共演」のものと差し替えられているらしいのだ。それが1960年のCBSのテレビ・コンサートのもので、最近発見されてユーチューブで公開された演奏なのだ。バーンスタインが演奏前にグールドの演奏は明白に間違いだというコメントと演奏が流された上で、二人の共演になっている。(1957年ではコロンビア交響楽団、1960年ではニューヨーク・フィルになっている。微妙な時間の誤差は、テレビコンサートの後コロンビア交響楽団に変えて録音したか。)


どうしてこうなったかと言うと、グールドが1957年の演奏に不満が出て来て、1960年に新しい演奏に替えたいということになった。それでわざわざ第一楽章の新録音を取り直したという次第である。だから1960年のテレビ・コンサートは全曲演奏されたわけではなく、1957年の演奏に1960年の第一楽章を録音して差し替えるのが目的であったようだ。ちなみに現在も市販されている1957年4月11日録音となっているピアノ協奏曲1番第一楽章は、1960年のテレビ・コンサートと同じ演奏になっている。では差し替える前の演奏はどうだったのか。


ここでバッハ作曲ピアノ協奏曲1番のグレン・グールドのディスコグラフィーを調べると以下になる。


(1) 1957年4月11日バーンスタイン指揮コロンビア交響楽団(8‘38)
(2) 1958年8月10日ミトロプーロス指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦  
    楽団(ザルツブルグ音楽祭ライブ)(6‘38)
(3) 1960年 バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル(9‘05)(バーンスタインはグールドのテンポは遅いテンポで、正しくないという解説をして非難している。そして二人の演奏となる。テレビコンサートで、最近フィルムが発見されて公開されている。これがスピーチで言及された「この間グールド氏と共演した」間違っているが納得の出来る演奏に相当する。)


(2)のミトロプーロス盤の第一楽章は速いテンポになっている。(6‘38)(1)と(3)の第一楽章は、計測では(8‘38)(9‘05)という誤差があるが、1960年の遅いテンポの演奏になっている。演奏史の変遷が見られるわけだが、そうではなくて、つまり差し替えている証拠なのだろう。


(1)の原盤の第一楽章の演奏は、ミトロプーロス指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏と同様の速いテンポではなかったか。この仮説はバッハのピアノ協奏曲1番の初盤をみれば容易に判明するはずである。ある面ではこの曲の古いレコードは、差し替え前の速いテンポで演奏されているはずである。ちょっとしたお宝レコードで、コレクターの収集の的になるのだろう。とすると1950年代のアメリカ盤しかないわけである。まず日本では無理だろう。最初から編集されたレコードが発売されていたからだ。


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グレン・グールドとバーンスタインが共演したディスコグラフィーを作成しておこう。


1957年4月9・10日 ベートーベンピアノ協奏曲2番
     4月11日   バッハピアノ協奏曲1番コロンビア交響楽団(SICCー30622)
1958年8月10日   バッハピアノ協奏曲1番ミトロプーロス指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(外盤)
1959年5月4・5・8日ベートーベンピアノ協奏曲3番コロンビア交響楽団(SICCー30627)
1960年1月31日   バッハピアノ協奏曲1番第一楽章ニューヨーク・フィル
1961年3月20日  ベートーベンピアノ協奏曲4番ニューヨーク・フィル(SICCー30630)
1962年4月6日   ブラームスピアノ協奏曲1番ニューヨーク・フィル(SICCー40058)


こうして見ると、ベートーベンピアノ協奏曲全集が録音される計画があったようだ。だが1番はゴルシュマンが指揮をし、5番はストコフスキーが指揮をした。ちなみに5番の演奏はブラームスの1番と全く同じコンセプトの演奏で、もはやバーンスタインとは共演出来ないものになってなっていた。ストコフスキーのような化け物でなけでは、化け物化していったグレン・グールドには対応できなかったのだ。バーンスタインとストコフスキーとの器の大きさの違いである。


ストコフスキーの指揮で5番を録音したばかりのグレン・グールドは、トロントに帰る列車で大学教授と雑談して興に乗り、別れ際に手持ちのベートーベンピアノ協奏曲5番のレコードをプレゼントすると、大学教授は『草枕』の英訳本をグレン・グールドにプレゼントした。こうして夏目漱石の『草枕』が愛読書になったわけだ。彼は別訳の『草枕』2冊、日本語版『草枕』2冊の4冊を所蔵していた。そして読書ノートまで作成した。


1981年11月カナダのCBCラジオの『ブックタイム』で、グレン・グールドは『草枕』第一章を要約して朗読までしている。それをこれから見てゆこう。