続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

グレン・グールドと『草枕』(4)漱石とトーマス・マン

*山路を登りながら、こう考えた。智に働ければ角が立つ。情に掉させば流れる。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。(岩波文庫7頁)


O『三角の世界』は1906年に書かれた。しかしほとんど動きのないこの作品は、二年前の日露戦争下(1904年)が舞台になっている。この戦争は直接的な関係はなく、最後の数頁に言及されているだけだ。でも不愉快に表現されている。第一次世界大戦を主題にしたトーマス・マンの『魔の山』は山に登る物語という点で不思議な繋がりを持っている。(そこで東洋と西洋、理性とドグマ、啓蒙主義と神秘主義の相克が論じられている。)『草枕』も瞑想と行動、不人情と人情、西洋と東洋、現代主義の持つ危険性が論じられている。この作品は二十世紀における最高の文学だというのが私の考えです。(グレン・グールド)


『草枕』の本文に入る前にグレン・グールドの短い紹介がある。『草枕』が『魔の山』に比定されるべき作品だというのは驚きだろう。そこで単純に比較表を作って見た。


 漱石『草枕』              トーマス・マン『魔の山』
 1906年               1012-1924年
 熊本の山の温泉旅館            スイス・アルプスのサナトリウム
瞑想と行動。不人情と人情。西洋と東洋。   東洋と西洋。理性とドグマ。啓蒙と神秘。
現代主義の危険性。
主人公 画家                主人公 造船技師カストルプ(グスタフ・   
                      マーラー)
女性 那美                 女性 ショーシャ(アルマ・マーラー)
那美の元夫                 ショーシャの恋人ベーベルコルン(コル                                                 
                       ンゴールド)                 


といったところか。
『ベニスに死す』(1912)の続編として『魔の山』(1912-1924)が書き始められたが、長大化してしまった。


アシェンバッハ(マーラー)は美少年タッツオ(アルマ・マーラーの男装)に恋するが、続編ではカストルプ(マーラー)とショーシャ(アルマ・マーラー)は恋人関係になる。タッツオとショーシャは共通して非ヨーロッパ系の人間になっている。ポーランド人とロシア人。


1910年9月12日ミュンヘンの万国博のイベントにマーラーの8番一千人の交響曲が初演された。名実共に千人の音楽家によって演奏された。そこにトーマス・マンも見物にきていたのだった。かねてよりマーラーの直弟子になっていたクラウス・プリングスハイムに誘われたわけだが、この男の双子の妹がカーチャ・プリングスハイムで、トーマス・マンの妻になっていた。クラウス・プリングスハイムからマーラーの人為を知らされていたが、直接目撃してみると現代の音楽巨人の姿に魅了されてしまったのである。そしてマーラーという人物に興味を持ち『ベニスに死す』を書き上げた。自分と同じ地下経脈を持つことを発見して親し身味を表明したところで終わった。次作はそんな程度のもの構想していたらしい。


1912年5月、妻がスイスのダボスのサナトリウムに入り、見舞いに行くのだが、サナトリウムに入院している患者たちの生態を知ってショックを受けることになった。ドイツ国内で生活していたマンの知見とサナトリウムで生活している人間の知見とが大いに相違していた。愛国心が丸でない議論をしていた。すると勝ち目のない戦争が出て来る。そういう戦争を議論しているのだった。


音楽で東と西を融合したマーラーのことが想起されて、世界市民になっているマーラーこそがこの世界観を具現化した人物に映ってきた。マーラーを主人公にした小説を書くことになり、世界観の対立と融合がテーマになった。


ここには様々なモデルが考え出されている。イタリア人でヒューマニズムと百科全書派の知識で世界を支配するのがセンテムブリーニだが、判事の子で台本も書ける文学者でありオペラも作曲できる大知識人としてレオンカバルロ(1857-1919)がモデルだといわれている。歌劇『道化師』を作曲し、妻の浮気と芝居が混同されて遂に「喜劇は終わった」と言って道化師役の夫が芝居の浮気役の妻を殺してしまい幕となる。西洋文明のヒューマニズムと科学技術は両立出来ないでだまし合いの関係で自滅する他ない。「喜劇(西欧文明)は終わった」というキーワードを言わせたかったために、『道化師』の作曲家レオンカバルロとなったか。


興味深いのは、ユダヤ人のナフタで、ルカーチ(1885-1971)がモデルだといわれている。1919年10月ウィーンでルカーチは逮捕されるが、マン兄弟は不当逮捕だと騒ぎ立てて釈放させている。ヨーロッパには共産革命が必要だと説くが、カソリックのイエズス会の神父が詭弁で布教したことと同じことだと言うのである。昔キリスト教で今共産主義で、信じることは狂うことだ。


主人公カストルプ(マーラー)には恋人のショーシャ(アルマ・マーラー)がいるが、ショーシャには若い浮気相手のベーベルコルンがいる。ベーベルコルンがコルンゴールド(1897-1957)がモデルではないか。若い時にマーラーに師事して有望視された作曲家であった。アルマ・マーラーは戦後バーンスタインと会うが、ホテルの一室で急に気絶を失うが、お門違いのバーンスタインはベッドに寝かせて部屋を出て行ってしまった。ウィーンの黄昏では、介護して恋愛に発展する作法になっていたらしい。マーラーの近辺にいたのでこんな下世話に通じていたので、マンは恋愛事情を拾った。