続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

グレン・グールドと『草枕』(8)草枕本文

*春は眠くなる。猫は鼠を捕る事を忘れ、人間は借金のある事を忘れる。時には自分の魂の居所さえ忘れて正体なくなる。ただの菜の花を遠く望んだときに眼が醒める。雲雀の鳴くのは口で鳴くのではない、魂全体が鳴くのだ。魂の活動が声が声にあらわれたもののうちで、あれほど元気のあるものはない。ああ愉快だ。こう思って、こう愉快になるのが詩である。
(岩波文庫10-11頁)


O春は眠くなる。猫は鼠を捕る事を忘れ、人間は借金のある事を忘れる。時には自分の魂の依所さえ忘れて正体なくなる。ただの菜の花を遠く望んだときに眼が醒める。ああ愉快だ。こう思って、こう愉快になるのが詩である。(グレン・グールド)


グレン・グールドは雲雀の鳴く以下の一文を省略している。まあ、そう気にならない一文だが、どうもこの人は雲雀の鳴き声など一度も聞いたことなど記憶にないのだろう。随筆家の渋沢秀雄に、西欧人が虫の鳴声はノイズ(雑音)としてしか聞こえないのであって、音楽とか風流な趣味の一種とは感じないということを読んだことを思い出した。鈴虫を飼育して鳴声を鑑賞するということは想像を絶することらしい。東洋と西洋の相違の一種である。ヒューマニズムもハイデガーは古代ローマが起源だと考察しているが、西洋にはなかった思想の一つで、フランス人の宣教師が中国に赴任した時に孔子の思想に触れて再認識したものであった。ヨーロッパにはない思想で、陶器の甕の水に溺れた子供を救出するために、別の子供が陶器の甕をハンマーで打破する光景が中国から渡来した陶磁器に描かれていた。プロシャのフロードリヒ大王が陶磁器を購入するために傭兵を売却した。そういう王侯貴族だけが所有できる高価な美術品であった。人間の命を救出する為には他人の所有権、所有権絶対の法則があるが、絶対法すら破棄しても良いという思想が描かれているとヴォルテールはこの絵を解釈した。ヒューマニズムは王権を越える権利であった。唐子甕打破図は啓蒙主義のシンボルになって、珍重されたのである。ヨーロッパ人はキリスト教徒だから王権神授説の下にいた王侯貴族に反抗する思想が無かった。人命救助なら王権に抵抗出来るという根拠をヴォルテールが再創造した。孔子と中国陶磁器が啓蒙主義を再創造させた。
 この類の一種で、カナダの麦畑の空高くで雲雀鳴く声などグレン・グールドの耳に届かなかった。あるいは単なるノイズ(雑音)にしか聞こえなかったのだ。それでいてナイチンゲールは音楽に出てくるのだが。ベートーベンの『田園』が鳥の声の初出ともいう。いやビバルディの『四季』だとか。しかし西洋の音は自然には疎かったらしい。


*忽ちシェレーの雲雀の詩を思い出して、口のうちで、覚えた所だけ暗誦して見たが、覚えている所は二、三句のなかにこんなのがある。「前を見ては、後えを見ては、物欲しと、あこがるるかなわれ。腹からの笑うといえど、苦しみの、そこにあるべし。うつくしき、極みの歌に、悲しさの、極みの歌に、極みの想、籠るとぞ知れ」
 なるほどいくら詩人が幸福でも、あの雲雀のように思い切って、一心不乱に、前後を忘却して、わが喜びを歌う訳には行くまい。西洋の詩は無論の事、支那の詩にも、よく万斛の愁いなどという字がある。詩人だから万斛で素人なら一合で済むかも知れぬ。して見ると詩人は常に人よりも苦労性で、凡骨の倍以上に神経が鋭敏なのかも知れん。超俗の喜びもあろうが、無量の悲も多かろう。そんならば詩人になるも考え物だ。
 しばらくは路が平で、右は雑木山、左は菜の花の身つづけである。足の下に蒲公英を踏みつける。鋸のような葉が遠慮なく四方へのして真中に黄色な球を擁護している。菜の花に気をとられて、踏みつけたあとで、気の毒な事をしたと、振り向いて見ると、黄色な球は依然として鋸のなかに鎮座している。呑気なものだ。また考えをつづける。
 詩人に憂いはつきものかも知れないが、あの雲雀を聞く心持になれば微塵もない。菜の花を見ても、ただうれしくて胸が躍るばかりだ。蒲公英もその通り、桜もーー桜はいつか見えなくなった。こう山の中へ来て自然の景物に接すれば、見るものも面白い。面白いだけで別段の苦しみも起らぬ。起るとすれば足が草臥れて、旨いものが食べられぬ位の事だろう。
 しかし苦しみのないのは何故だろう。ただこの景色を一幅の画として観、一巻の詩として読むからである。画があり詩である以上は地面を貰って、開拓する気にもならねば、鉄道をかけて
 一儲けする了見も起らぬ。ただこの景色がーー腹の足しにもならぬ、月給の補いにもならぬこの景色が景色としてのみ、余の心を楽しませつつあるから苦労も心配も伴わぬのだろう。自然の力は是において尊い。吾人の性情を瞬刻に陶冶して醇なる詩境に入らしむるのは自然である。
 恋はうつくしかろ、孝もうつしかろ、忠君愛国も結構だろう。しかし自身がその局に当たれば利害の旋風に捲き込まれて、うつくしき事にも、結構な事にも、目は眩んでしまう。従ってどこに詩があるか自身には解しかねる。(岩波文庫11-13頁)


O 省略 (グレン・グールド)


グレン・グールドは漱石の文章の二頁弱を省略の暴挙に出た。カナダ人にとってはよほど飽きたのであろう。シェレ-ことシェリーの詩の一編にも共感を持たないのであろうから、極東の一小説家の文章に薄情なのは致し方無い限りだ。
 人に毀誉褒貶有り、若書きの至り有り。短い人生だったグレン・グールドはそういう紆余曲折がなかったのが惜しい。これからどんなに変わったかという楽しみを奪ったといえる。グレン・グールドの若書きだけしか知る術がないのである。グレン・グールドが七十歳の翁に到達した時、「あれは若気の至りだった」と述懐しないとも限らないのである。ケンプの『月光』だが、SPレコードでも1回目と2回目とは相当の変化がある。19世紀の中でも変化している。バックハウスは全然変わらなかった。