シューマンと岡潔「無明の音楽」ヘルベッヘ指揮フランクフルト放送交響楽団の4番
昔岡潔という数学者がいたが、彼はシューマンの音楽は「無明の音楽」だと言った。曖昧模糊として不鮮明な旋律から救いようのない一種狂人の音楽のように喩えられていたが、それこそがシューマンの本質で救済され難い人間の業のようなものを表現していたに過ぎなかった。つまり人間の無明を表わしたのだ。
またフランス人はこの曖昧模糊としたシューマンの音楽に熱狂した。コルトーなどもその一人であった。意外にドイツ人がシューマンが分からなく、いたってフランス人に愛好者と理解者を見出した。
確か岡潔もフランスに留学したのではなかったか。何故あんなに明晰なものを求めたフランス人が不明晰なシューマンが好きだったのだろう。
無明とは、闇夜の明烏というように、闇夜と烏とが一色たにされた世界である。それを闇夜と烏とを識別するところに解脱脱出の術がある。よほど理性と明晰性がないと出来ないが、それに導かれて闇夜から烏の姿が識別できる。
古来よりシューマンの編曲が試行されて来たが、カラヤン指揮ウィーン交響楽団のリハーサルも感銘深いものだが、フランスの奇才ヘルベッヘもより具体的なものがあって感銘深かった。
ヘルベッヘの演奏をユーチューブで見ていたらカメラはヘルベッヘのリハーサルの記録された楽譜を映し出したのであった。面白いと思ったので、再現してみた。
第一楽章、128小節以下。
第一バイオリンは楽譜では、バイオリンをアップ・ボウで弾かせているが、ヘルベッヘはダウン・ボウで下に降ろして強く弾かせた。128・130・132小節とヘルベッヘは弾き方の変更を求めた。
続きの134・136小節もダウンで弾かせている。
面白いのが、右端で、137小節の最後の16分音符にアクセントをヘルベッヘは要求した。そしてフラットをヘルベッヘは要求し、最終的には元に戻して鉛筆の加筆を消しゴムで消したように汚れている。