続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

『世界サブカルチャー史』欲望の系譜9と『グラン・トリノ』(クリント・イーストウッド)

今週のテレビはこの2つが妙に繋がっていた。


『世界サブカルチャー史』は、1980年代ちょうどアメリカに日本車が氾濫して自動車産業が没落した時で、日本車がハンマーで破壊された。日本人が憎まれて間違えられた中国人が殺される事件まで発生した。アメリカ人は本気で日本人を恨んでいたわけだ。今年中国人に間違えられたニューヨークの日本人ジャズピアニストが黒人から半殺しの目に会ったのと似ている。


そこでコッポラは『タッカー』(1988)を監督した。1940年代にあった弱小自動車会社タッカーの物語で、後発の創意ある会社を執拗に攻撃された。「もし大企業が斬新な発想を持った個人を潰したら、進歩の道を閉ざすことになるばかりか、自由という理念を破壊することになる。この理不尽を許したら、我々の世界はナンバーワンから落ちて、敗戦国日本から工業製品を買うことになるぞ」とタッカーは演説するが、聴衆は笑うばかりだった。タッカーはフォード・GM・クライスラーの大企業から様々な妨害を受けて、彼らは自動車の新開発を怠っていた。タッカーの圧し潰しには成功するのだが、日本車の進出には抵抗出来なかった。コッポラはリアリズムでこれを告発した。スピルバーグはファンタジー映画で富を得ているが、コッポラはリアリズムを追及して破産したという。アメリカの闇を攻撃したが受け入れられなかった。


イーストウッドの『グラン・トリノ』(2008)は、その後日談で、フオードで名車グラン・トリノを生産していた自動車工場の工員で、時代に取り残された物作りのアメリカを象徴している。今は年金生活者として一人暮らしをしている。ポーランド系の移民であった。(アメリカの主体である白人すら所詮移民でしかない、と皮肉る。)自動車産業は衰退した。彼の家は自動車工場の工員が住んだ住宅街だったが、今はスラム街になっている。隣家にはアジア人の移民が移り住んで来た。さっそく隣家の少年タオが物を借りに来たが、人種的偏見を持って拒絶する。(人種差別主義者の彼はやがて身内よりアジア人に共感を持ち始める。)


アジア人一家なのだが、次第に事情が分かり、アメリカのベトナム撤退の時アメリカに協力したモン族で、北ベトナムに虐殺されるので大量移民して来た背景を持つ。(実にイーストウッドはマニアックだ。)その一部は今やキャングに化していて、その中に隣家の親せきがいて、会いに来る。さっそくイーストウッドの自慢の愛車グラン・トリノを目に付け盗むことになる。まったくもって厄介なアジア系移民の迷惑者なのだ。アメリカに協力したモン族なのにアメリカ社会は彼らの受け入れを拒否している。(去年アフガン撤退の時協力した大量の種族をアメリカに移民させて、反省がない。10年後反社会になるのだろう。)


タオの姉スーに恋人がいて、白人青年(実はイーストウッドの息子)とデート中に、黒人たりに絡まれる。気弱な青年は傍観しているだけで、スーがレイプされそうになる。十字路で目撃したイーストウッドはトラックで近づき助ける。黒人はアフリカから奴隷として運ばれるが、用無しになって放置される。モン族と同じ運命がここで語られている。


スーとタオの姉弟と親密になり、タオに大工の仕事を紹介する。イーストウッドは時々口から血を吐き、重大な病気になっているらしい。(伏線)その帰りギャング仲間に入らないタオをリンチする。イーストウッドは報復すると、逆にギャングから隣家が攻撃される。スーもレイプされる。


イーストウッドは重大な決意をする。タオは決起する時協力しょうとするが、家に閉じ込めて参加させない。彼一人で全員を射殺するらしい。ギャングの棲み処に行き、懐からピストルを出す真似をする。そう言えば彼は以前から懐から指ピストルを出して撃つ真似をしていて、これも伏線。映画は捨て身の主人公が一人で多数の敵をやっつけて憂さ晴らしで幕となるのがエンタメの作法だ。ここでドンデン返しとなる。もう病気で余命ない彼は、彼らに撃ち殺されて、殺人罪で刑務所行きという手で終わらせる。インパクトが弱い手で終わらせている。映画の醍醐味のカタストロフィーがない。ここに俳優としてはこの作で終わりといった意味があるのだろう。主人公の死は俳優イーストウッドの死だから。


1980年代のアメリカは物作りをやめて、金融資本で再生しようと、グローバリズムが始まるわけだ。中国が世界の工場になって行った。アメリカは何も生産しない人々で溢れるばかりである。それでいて富裕層は前代未聞の富を得る。金融資本と税制のカラクリである。不労所得者を安楽死させるというケインズ主義はどこへいったのか。歴史の終焉(フクシマ)と呼んだソビエト崩壊と資本主義の勝利は、世界的な低賃金の工場の生産システムでしかなかった。労働者の味方の中国共産党が紡績工場の吸血鬼資本家を上回って搾取した。共産主義は中国共産党の手で終焉を迎える。


M舎という企業が変電器を発明するとT電が広義の盗電であるという理由で逮捕させて潰したが、この冬が電力不足で節電を呼び掛けているが、その変電器を各家庭が設備したら十分電力は供給される。変電器で電力消費が下回るという理由で敵視したが、今考えると救世主ではなかったか。あの企業は独占企業ということで、様々な発電の技術開発を潰してきた。桐生という織物工場の町は家の横に流れる小川で発電して、自分の織物工場のモーターを発電していた。只で発電しているのが許せなくて、自家発電より安い電器料金を設定して自家発電を潰した。今思うとクリーンで安価な発電であった。映画『タッカー』に繋がる話だ。地熱発電に手を出した『業務用スーパー』はいつか潰されるのではないか。