谷津矢車『雲州下屋敷の幽霊』(1)松平不味の父の話
江戸時代は面白い時代で、家来の殿様いじめがあった。長男次男まではお世継ぎ様で、それ以下は乱暴に扱われた。廃藩にあった藩に新しい藩主がやって来る。旧藩士はどんなに弱い立場かというと、そうでもない。新しい支配者に面従腹背して、隙あらば次男三男を担ぎ上げて、お家騒動を企てる。時代小説の種は山本周五郎、藤沢周平、葉室麟と尽きないわけだ。
この小説も家来の殿様いじめがテーマである。名君で茶人として知られた出雲の松平不味公の、実父の暗君ぶりを描いたものだ。かつて一世を風靡した『日本残酷物語』の系譜に属する一編だといえよう。
1
松平不味の父で先代藩主は藩政の改革をめざすが、余計なことをーーと家臣は協力してくれず、道半ばで挫折して、不満の中隠居をするのであった。
雲州下屋敷での隠居生活は平坦なものではなく、敵意ある家来に囲まれて、その憤懣が奇異な行動に噴出した。
雲州下屋敷に幽霊が出るという悪い噂が流れた。何代目かの女中お幸が召し抱えられた。さっそくご隠居様はお幸の背中に刺青を入れようとした。お幸は薄幸な女であった。御隠居様の命令は今までの人生苦悩からすれば少しも苦痛ではなかった。喜んで受け入れられた。お幸はやっとここに居場所を発見した。刺青をすると、御隠居様は大層喜ばれた。それを見て自分は役に立っていると嬉しく感じられた。
2
不味公の父だけあって茶の湯も楽しんだ。一風変わった茶会が開かれた。参加者は全員が全裸でふるまうのだった。高潔な息子不味公の茶の湯の趣向と違っていた。
町人学者工藤平助と知り合いで、それを楽しんだ。そこでお幸を見染めて下屋敷に連れていった。
3
御隠居様には妖怪絵の趣味があった。そんな絵を収集した。サディズムに満ちた趣向であった。これを生身の女の背中に刺青で描きたいと思うようになった。一段と退廃が増した。
お幸を裸にして池に入れたりして、それを屋敷からご覧になって悦に入った。
こんな常軌を逸した奇行が重なり、屋敷周辺で変な噂が流れた。
4
お幸が茶を運ぶと、御隠居様は背中の刺青が見たいと所望するのだった。服を脱がせ背中の刺青を見ると、よほど気に喰わないことがあったのか、いきなり火鉢の火箸を握るとお幸の肌に押し付けた。火傷を負わされた。
「余が憎くないか」
「殿さまが喜ぶのが嬉しゆうございます」
「・・・」
ご隠居様は予期した言葉でなかったのが気に入らなかった。
「小癪な」
と言って刀を手に持って、切り付けようとした。すると家来が制するのだった。小娘一人の殺生も許されなかった。
5
この一件は報告され、「殿、御乱心」ということになり、幽閉されてしまった。
科が解かれ、日常生活が戻った。茶会で割った茶碗が金継ぎされて戻ったと報告があった。それを手に取り、「余には少しも自由がない」と述懐するのだった。
6
お幸は刺青などされて傷者に、町人との結婚話もなかろうと、屋敷勤めが続行されていた。久しく忘れていたが、
「お眼通り願いたいと言ってますが、如何に」
「許す」
と、お幸の姿が現れた。その姿を見て驚いた。
「死期が到来。お別れがさびしい」
とお幸はいった。
「余はとうに死んでおるわ」
「幽霊ですか」
「そうさな。生きた幽霊だわな」
薄っすらと笑った。ふてぶてしいお幸の言葉に怒りが生じ、刃を向けるのだった。短刀がお幸の前に輝いた。お幸は少しも恐れなかった。
「身の置き場が発見出来て嬉しゆうございます。お先に参ります」
お幸は短刀を受け入れるのだった。こんな人物の子が不味公かと思わないでもない。