続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

渡辺京二の世界ーこざかしいこと言うな。これは浪花節だ

渡辺京二(1930ー2022)は年末の12月25日に92歳で逝去された。若くして吉本隆明に師事し、日本人の原像を追い求めた吉本隆明は、『共同幻想論』で恥ずかしい日本人に到達します。俳優藤田まことに『共同幻想論』を見て、色紙を求め書斎に飾っていたようです。


1970年、厚生省で石牟礼道子や渡辺京二は抗議デモをおこなった。厚生省で水俣病の一任派と補償委員会が、低い保証金で和解する手打ち式が行われることになった。


前日告発の会で、抗議デモを発案し、反対する者もいた。


「こざかしいことを言うな。これは浪花節だ」
と渡辺京二は発言した。


回想で、
「恥をさらすだけのことだけど」それでいいとした。機動隊が来て、デモが排除された。だが厚生省の役人はそれを見ていて、ショックを受けた。それだけでいいじゃないか。国民は踏みにじればいい。抵抗しない。それが水俣病を生んだのだ。厚生省は恥をかかされた。それでいいのではないか。


水俣病は単なる公害訴訟裁判で終わるところだったが、石牟礼道子の『苦海浄土』でこれを国民の肉声にまで高めた。(渡辺京二の個人誌『熊本風土記』に連載された。)国民は産業の犠牲になってもかまわない。そうではないだろうという心が声になった。


チャウシェツクはイタリアの産廃をルーマニアに捨てた。
アメリカは中国に工場の産廃を水俣病の反省を無視してたれ流させた。ひたすら安上がりの工場にしたわけだ。


そして渡辺京二は『逝し世の面影』で庶民大衆の原像を拾うことになった。恥を知る日本人の原像に至る。