続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

TBS『ゲットレディー』第3話罪と罰の関係は?

第3話から俄然おもしろくなった。


安達(杉本哲太)という風采の上がらない男が、駅前で娘の持つカサを待っている。娘は途中で三人組の不良に襲われて、殺されてしまう。安達はその三人組に復讐するのだが、只の復讐劇ではなかった。


安達が三人組を殺害すると、即覆面医師団が現れて応急処置をして、助けてしまう。殺人は傷害罪に過ぎなくなってしまう。この発想は秀逸である。


安達は三人目を襲撃するが、逆に相手から攻撃されて怪我をする。やはり覆面医師団が登場して、三人目を治療して、安達を運んで治療する。安達には不治の病があって、天才医師波佐間(妻夫木聡)の手術で完治する。そして安達は警察に自首するのだった。三人を殺害したと思うと、単なる傷害罪であった。罪は罪として罰を受ける潔さがある。


一方元気になった三人組は相変わらず不良生活であった。そこへ覆面医師の波佐間が現れて、血管を治療した糸は10ケ月経過すると溶解して、血管から出血して死亡すると告げられる。初めて生死の厳粛さに会うことになった。反省しないと天罰が下されるのだった。


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ひるがえって、ドストエフスキーの『罪と罰』を彷彿とさせた。この小説は誤訳だといわれ、原題は『犯罪と刑罰』だといわれている。ロシアも西欧化して、ベッカリーナの罪刑法定主義が採用される。犯罪が羅列されて、相応の罰が羅列される。ドストエフスキーはそんなことでいいのかと問うのである。殺人を犯しても許され、犯罪でなくても重大な罪として罰されるべきものがある。


ドストエフスキーに『大審問官』という小説があるが、中世の魔女裁判の裁判長のことである。裁判長の主観で、ある者は殺人を犯しても罪にならず、犯罪を犯さない魔女がそれだけの理由で火あぶりの刑に処せられる。滅茶苦茶な裁判を評して魔女裁判と呼ばれている。ドストエフスキーはこれを肯定するのである。罪なき罪を問うて、処断してこその真理のかすがいがある。罪に問われない極悪人を処断するのが大審問官(魔女裁判長)であった。近代主義をやめて中世に戻れ、というのがドストエフスキーであった。(彼はアメリカの三流ホラー小説をロシア語訳して魔女裁判賛成小説を書いた。9・11でアメリカは殺人予備罪というとんでもない法律を作り、テロリストを将来の殺人で殺人罪に該当するとした。まだやっていない殺人で殺人罪に問うわけだ。)


罪を悔い改めない三人組にはなす術がないのである。そういう彼らにこのドラマは鉄槌を用意した。