続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

年末特番NHK『生誕250年ベートーヴェンの謎』を見る

        ギュルケ校訂版ベートーヴェン交響曲5番『運命』楽譜


ベートーヴェン生誕250年祭は2020年で、コロナ流行に当たり自粛で散々な行事になった。本番を見落としたので、年末の再放送で確認出来た。


ベートーヴェンにとっては不運だが、内容を見ると斬新なものはなかった。新しいベートーヴェン像は提示されなかったということになる。


弟子シントラ―が記録した『会話帳』で、彼はベートーヴェンの言葉を改変していたことは常識で信用されていないことも常識である。


東ドイツが国家プロジェクトで9曲の交響曲の新しい楽譜を出版して、世界中のオーケストラがこれを購入すると大変な外貨収入になるという皮算用があった。その手始めがギュルケ教授の校訂した交響曲5番『運命』の楽譜の出版だった。第三楽章は元来が反復して冒頭に戻るようになっていたので、それを復活した。大変好評であった。


しかしこれはベートーヴェンの研究書の名著であるリーツラー『ベートーヴェン』で既に指摘されていたものだった。そしてリーツラーの本に触れないのも不思議な気がする。


作曲家で指揮者のブーレーズは、ニューヨーク・フィルハーモニックの常任指揮者になった時、1968年に復活版をレコード録音している。ブーレーズはこの頃第三楽章が反復されていた事実を知って、復活に動いたという。世紀の大発見という歌い文句もある。初めて音にしたのは確かのようだ。
   第三楽章238小節でダ・カーポ、第三楽章冒頭に反復する。


こういう形式は、ブラームスの2番でも見られ奇異なものではなく、第三楽章の反復がやられるようになったが、現在では廃れている。


西ドイツのベーレンライター社という私企業で、デル・マーの個人的な校訂で全9曲の新版楽譜が出版されて、これが標準楽譜になってしまった。個人プレイが東西国家プロジェクトを制してしまった。父親は有名な指揮者で、城に住んで親子二代の膨大な音楽書の蔵書があるようだ。親子してマニアックな人である。役人の気長な仕事はイーロン・マスクのような気印に任せると仕事が早い。フレイザーが膨大な個人蔵書だけで『金枝篇』を書いたが、それに近い。


デル・マーは三楽章反復は採用しなかった。しかしベートーヴェンは一時反復を考えて筆跡を残したことは事実なので、判断は趣味・感覚に任せられたということなのであろう。五分五分が正しい。ブーレーズ・ギュルケにも利が有り。