続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

卑弥呼の正体を二歩前進させた研究

1『魏志倭人伝』は邪馬台国の住民が刺青をしていたこと。
2女王卑弥呼は巫女で神託を伝授させたこと。ひいては日本の巫女の原型であること。


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昨夜NHKラジオの深夜便を聞いていたら、野鳥の紹介で野鳥ミコアリサを紹介されていた。大変興味深く聞いた。
これがミコアリサという野鳥である。白い羽に眼の回りが黒くなっているのが最大の特長である。


何故ミコアリサと呼ばれた語源であるが、ミコ・アリサと分けられ、ミコは巫女に由来し、アリサとは「秋サリ」で、秋が去り冬が来るということらしい。


冬鳥で九州や本州に到来する渡り鳥である。


野鳥研究家の受け売りであるが、日本の神社にいる巫女は白い服に赤い袴を着装しているが、古い巫女の形態はどうも違うらしい。
1目の周りに黒い刺青をしていたのが古代の巫女であるらしい。
2全身白で、白い装束をしていたらしい。


江戸時代以前の巫女は白装束で目の周りを黒い刺青をしていたので、それに似た秋が去ってやってくる渡り鳥を巫女アリサ・ミコアリサと呼んだ。


今になっては、野鳥ミコアリサに、古代の巫女の原型が報告されているということだ。


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バカ・アホー語源論があって、京の都と遠地は京都で流行語が発生して伝播ゆく過程を示していて、東北や九州にバカの言葉が伝播する頃には京都ではバカが廃ってアホーが流行している。古語が遠地に残るという理論である。(方言は従来は卑しい未熟な地方語と考えられた。)


この理論に着目した人に民俗学の柳田国男・折口信夫という人がいて、日本で失われた事物が遠地には残っているのではないか、と考えた。(時系列は違います。)そこで日本で失われた神道の原型が沖縄に残存しているのではないかと考えた。


昔は神木が神社の中心であったが家屋が中心になっている。空家に手を合わせて拝礼している。信仰が堕落したのだが、それでも恐れ多いというので偶像崇拝はしない。神社が空っぽである理由がそこにある。仏教のように仏像を造らない。仏教伝来で寺を造ったが、それに対抗して神社建築を造った。仏教に対抗することで変形してしまった。


沖縄では洞窟を拝礼している。神社建築など一つもない。柳田や折口は驚嘆したわけである。と同時に日本で失われたものが残っていた。


その一つが巫女の白装束であった。沖縄ではノロと呼ばれた巫女である。日本で失われた白装束であった。

これが巫女の原型であった。野鳥ミコアサリが伝える白装束ではないか。巫女の原型は白装束であったことを、沖縄が伝承していた。


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さて最大の核心は、古代巫女は目の周りを黒色の刺青をしていたということだ。
パンダです。日本の巫女はパンダのように目の周りが黒色だった。卑弥呼はこんな顔をしていたのであろう。(野鳥ミコアリサの色分けが証明する。台湾の巫女が顔に刺青している。)


卑弥呼のみならず、天照大神・アメノウズメ・媛女君・祥子内親王・伊勢の斎宮・出雲のお国もパンダ顔をしていたのかも知れない。


もうこれは物証では証明することが出来ない。


『魏志倭人伝』で邪馬台国の住民が刺青をしていたという記録は、古代巫女が眼の周りを黒色の刺青をしていたという風習をかすかに伝承するものであろう。


邪馬台国の卑弥呼という巫女がパンダのような刺青をしていたことは『魏志倭人伝』と野鳥ミコアリサの二つの傍証で成立するのではないか。


野鳥ミコアリサは卑弥呼の研究を一歩も二歩も前進させたことになる。


付記。紅白幕があるが、本来は白黒幕で、宮中祭礼は今でも白黒でやっている。白黒は仏式で葬式用になっていて縁起が悪いということになっている。しかし本来は白黒は神聖な色なのであろう。神と人間を結び付ける縁があるのだろう。