続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

『映像の世紀—戦争の中の芸術家フルベンとショスタコ』

NHKの『映像の世紀バタフライエフェクト—戦争の中の芸術家フルトヴェングラーとショスタコーヴィッチ』を興味深く見た。人間は国家から逃げられない。サッカー選手によってそれを知らされた。国家を自己否認したところで愚かと知らされて、日本のサッカー選手は改めて欧米並みに自ら国歌斉唱を歌うようになった。やがてスポーツ開催の前に国歌斉唱が当たり前になった。無関心や自己否認しても国家は無くならない。いやおうなく国家が迫って来る。それにどう対応するしかない。


国内亡命説とは、従順な国民の振りをして秘密裏にナチにテロをしたドイツ人がいたことを指すらしい。白バラ運動とか、ヒトラー暗殺計画をした軍人とか。福永武彦が招集を恐れて参謀本部暗号解読班に志願した。日本で国内亡命があるとしたこれしかないだろう。フルトヴェングラーがベルリン・フィルからユダヤ人を守ったのは確かだが、戦局悪化してもなおそうだったという報告はない。最終的には守れなかった。自分の身も危なくなりスイスに亡命した。スイス人のアンセルメがチェコで指揮をしたが、ユーゴのマタチッチは占領地チェコで指揮したために戦争協力で戦犯となりチトーから銃殺刑に成り掛けたという。近衛もチエコで指揮したが、彼は枢軸国民なのでお咎め無しだった。戦争協力は国民義務だった。この違いは難しい問題です。同じ行動で三種類の結論がでる。


1947年フルトヴェングラーの戦後ベルリン・フィルの復帰演奏会があった。これは戦前と戦後の国家が継続したという意味合いがあった。フルトヴェングラーはナチス国家の下で国内亡命したのだという丸山真男説では説明できないものがある。フルトヴェングラーとベルリン・フィルの継続・一貫性に、ベルリン市民は国家の継続を仮託したのである。三者一体を見たのである。国家の継続を公では主張出来ない占領下だからこそ、戦前のフルトヴェングラーと戦前のベルリン・フィルが戦後に再現された意味合いは深い。ここにドイツ人の国家の継続を見たわけだ。戦前のフルトヴェングラーと戦前のベルリン・フィルと戦前のベルリン聴衆が戦後再会する。三者は不変であったという確認だ。


日本では戦前の昭和天皇と戦後の昭和天皇という同一人物継続に国家の継続を仮託したわけだ。そういう意味では昭和天皇の退位は戦争責任の取り方にはなるが国家が断絶することになった。昭和天皇の行幸は不変の国家が継続したことの確認であった。


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さて、ロシアの場合はさらに複雑である。
 ロシア革命で新しい社会が生まれ、ショスタコーヴィッチは交響曲1番で革命が生んだ最初の才能として高く評価された。ロシア・アバンギャドが生まれ無制限な自由が謳歌されると思いきや、革命以前より制限がきびしくなった。人民に奉仕される芸術が前面に打ち出された。社会主義リアリズムをマーラーで融合させたのが交響曲4番であったが、そうすると社会主義リアリズムとは芸術の中に着地点がないということが明白になった。交響曲5番と7番は音楽官僚の要請を完全に実現しながら、そうでない所で芸術の自由を表現することになった。以降交響曲では作曲家の裏の意図があり、その意図の裏読みが重要とされている。
 そのことより、ロシアのショスタコーヴィッチは社会主義リアリズムにより作曲が制限され、アメリカのコルンゴルド(1897-1957)はコマーシャリズムにより作曲が制限されながら、バイオリン協奏曲の傑作を完成させたことであろう。オイストラッフとハイフェッツというバイオリニストの巨匠に支えながら、所属する国家の制限を跳ね除けて芸術の望むままの姿を見ごとに表現しえた。ショスタコーヴィッチのバイオリン協奏曲1番(11948)とコルンゴルドのバイオリン協奏曲(1945)だ。演奏家が指導権を握つて国家制限を跳ね除けて、自由に作曲させたという点で二つは類似している。


指揮者スイトナーはベルリン国立歌劇場の指揮者だが、愛人の女性を雇用したのだが、上司は自腹で雇用してくれという事になった。ドイツ統一で情報公開されると、実は愛人は正式な雇用契約書が発見された。上司が給与を中抜きしていたことが発覚した。


ムラビンスキーがウィーンにレニングラード・フィルと公演旅行に来て、脳梗塞を発病して入院した。入院費が払えなくなって、どういう理由かウィーン・フィルがムラビンスキーの入院費を払うことになった。戦後ウィーンは連合国の占領ということになり、ウィーン・フィルの楽団員の相当数に左翼が占めることになった。ある面では彼らの年金資金で自由裁量で決められる。ムラビンスキーはウィーン・フィルを一度も指揮したことのない無関係な人だが、ロシアの巨匠が困っているのだから、自分たちの年金資金をムラビンスキーの為に使用したいという決議がなされた。他方ロシア大使館や文化省では入院費は出ているが、役人が中抜きして、私腹を肥やしていたのだろう。


最後の書記長アンドロポフはゴルバチョフに共産党の再生を託したが、ロシア共産党は再生の余地なしと判断して崩壊を選択した。再生よりは頓死と判断した。東ドイツといいソビエトといい、役人は腐りきっていた。腐った役人たちに指導されたソビエトの音楽界であった。腐った音楽官僚に支配された中でショスタコーヴィッチは作曲しなければならなかった。偏屈な音楽観に支配されながらも、カラヤンは交響曲10番は演奏するに値する音楽として評価した。何度も演奏した。カラヤンが質問に解答を出したのだ。これが一番説得力がある。


時代や歴史に動揺されながらも、1番4番5番9番10番は生き残った。ショスタコーヴィッチは交響曲の裏に本音を隠したのだから本音を裏読みしようという説がある。それでも彼は生き残り名声を確保した。汚辱の裏の名声には協力者という響は消せない。


最後に番組が取り上げた愛国作家火野葦平は、戦場の悲惨から非戦に転じたという。ペシャワール会の中村哲は火野葦平の親族だという。