続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

シューベルト『美しき水車小屋の娘』と民話『猿嫁入り』(1)

一見何の関係もなさそうでありながら、この二つは同じことを語っている。19世紀のドイツの詩人ミューラー(1794-1827)の詩集『さすらうホルン吹き』(1821)の第一部が『美しき水車小屋の娘』の詩であった。しかしこの詩はイタリアの作曲家パイジェルロの歌劇『美しき水車小屋の娘』の台本であった。決して近代詩ではなかったのである。むしろ古臭い古伝説に基ずく民話であったのである。それは中世の水車小屋の伝説を今に伝えるものであった。


1790年にウィーンでパイジェルロの歌劇『美しき水車小屋の娘』が上演されると大人気であった。ベートーベンも見物した。二つのアリアに感激して変奏曲を書いた。


パイジェルロの歌劇は、ナポリの貴族の館が舞台で、娘エウジーナがカツロマンドと結婚し
公証人ピストフォロが署名して結婚が成立するところから始まる。夫は妻が財産(農地)はあるが不美人なのに不満を持つ。そこに騎士カツロアンドロが登場して新妻を誘惑するのだった。さらに『美しき水車小屋の娘』のラケリーナが登場して二人の気持ちを奪う。粉ひきしてくれる男と結婚すると宣言する。騎士が彼女を仕留めて、目出度し・目出度しで終わる。


ベートーベンは美しき水車小屋の娘の誘惑する恋心のアリアと娘と結婚して粉ひきになる男の二重唱を変奏曲にしている。女に持てないベートーベンは、邪悪な女に恨みがあった。邪悪な女に弄ばれる男が愉快に思えた。さてイタリア人は水車小屋の娘を思い出すと笑い出すのだという。美人に騙されて重労働をする男のバカさ加減がテーマだったからだ。そういう中世の笑いが生きていた。


1816年、ベルリンの顧問官シュテーゲマンの屋敷で家庭劇が上演された。パイジェルロの歌劇『美しき水車小屋の娘』の台本があった。曲がないのでベルガー(1777-1839)が作曲し、イタリア語を上演者たちが翻訳した。10曲の半分を彼らが作詞して歌い、残り半分をやはり出演者でもあったミューラーが作詞した。(シューベルトの『美しき水車小屋の娘』の2・9・17・18・20曲)。ベルガー版『美しき水車小屋の娘』もCDになってあるらしい。シューベルトとベルガーの『美しき水車小屋の娘』があるわけだ。


ちなみにシュテーゲマンの娘が水車小屋の娘を演じ、狩人を画家ヘンゼルが演じ、庭師をメンデルスゾーンの姉ルイスが演じ、ヘンゼルと夫婦になっている。地主にフェルスターという歴史家が演じたが、歌わずセリフのみであったので、ベルガーのオペラには登場しない。


粉ひき職人の役をミューラーが作詞して歌ったらしい。それですっかり『美しき水車小屋の娘』に魅了されたミューラーは、残りの台本を全てドイツ語に翻訳し完成させたのである。その他ドイツ民謡を採集して詩集に完成させた。この詩集を偶然見たシューベルトはいたく感激して三編を省略して作曲したのだった。フィッシャー=ディスカウは二編を復活した『美しき水車小屋の娘』を曲なし台詞で歌っている。