続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

司馬遼太郎に奈良本辰也、松本清張に樋口清之

今年は司馬遼太郎(1923-1996)の生誕100年の記念年だそうである。東に松本清張(1913-1997)ありで、ともかく広い読者を持った。小林秀雄も「司馬遼はいいよ」と可愛いがった。大衆作家を国民作家に育てたひとだ。


司馬遼太郎は国民を左翼史観から国民史観に引き戻し、松本清張は違う意味で奥さんは旧陸軍の将軍の血筋を引き戦後の外務省に息子が君臨して、実娘がイタリア大使夫人になるほど保守で栄達した。その頃から革新的な発言が消えたのである。


それはさて置き、この二人には歴史の知恵者がいて、今では考えられないような歴史に対する浅学があった。松本清張は古代史の専門知識で知られたが、その前は梅干し先生と呼ばれたテレビで歴史物といえば呼ばれて登場した樋口清之((1909-1997)国学院大学教授が歴史の相談相手であった。樋口は別に考古学でも専門家であったが、樋口と松本の古代史の関係については知らない。また松本は全く樋口清之の名前は公表しなかったと思う。とりわけ古代史に進んで独自の見解を発表するようになってからは、樋口清之から離れたのではないかと疑っている。これは適切ではないが、昭和史発掘では右翼的な見解の樋口清之と左翼史観の松本清張とは相い入れなくなって、疎遠になったのではないか。古代史と昭和史で見解が相違した。松本清張の歴史の基礎知識は樋口清之に依存していた。古代史論争では専門家と渡り合ったが、その頃は完全に樋口清之の名前は無視された。


司馬遼太郎にも歴史知識の知恵者・相談役がいて、立命館大学教授の奈良本辰也(1913-2001)であった。歴史小説の注文があると、奈良本辰也を訪問して歴史家としての意見を聞いて「あっ、わかった」となると小説を書き出した。直木賞は『梟の城』で忍者が主人公、『ぜいろく武士道』では名前のない大衆小説だから、歴史知識は不要だった。『国盗り物語』の斉藤道三など実に軽薄な人物論である。やがて司馬史観と呼ばれるような洞察力のある歴史認識を感銘深く読むわけである。坂本龍馬が書かれると、神田神保町から坂本竜馬の本がなくなったとという伝説を生んだ。司馬遼太郎記念館の膨大な蔵書が司馬史観を造った。そこに至るまで奈良本辰也の協力があったのだ。


それにしても奈良本辰也といい、樋口清之といい二人は実に好人物を選んだことに敬服するのである。大学者は狷介な人物というのが相場になっている。人格に傷がないと学者になれないのだ。だからこそ学問に精進するのだ。大人物で好人物はいないのである。二人はいい人物に出会って大成したのだ。


あれほど膨大な歴史知識を教えて、見返りもなかった。悪く言えば最後は足で蹴って砂をかけたが、司馬を松本を悪く言わなかった。二人の影に奈良本辰也・樋口清之がいたことなど今は誰も知らない。巨人は一人で出来たと思っているが、大学者にして好人物の歴史学の大斗に相談にのってもらって、大小説家になったのである。


付記。
今日和歌山で岸田首相が強かんに襲われた。一年前は奈良で安倍元首相が暗殺された。そっくりなのに驚嘆した。飛び道具を使用、大きな爆発音、痩せた青年木村隆二だった。


元外交官の孫崎亨説を紹介したい。
真犯人は実行犯の背後にいた。2月22日ロシアが侵略。2月27日安倍氏フジテレビに出演して、東方拡大にプーチンやむをえず進軍と弁解した。又セルビアからコソボ独立をEUはセルビア空襲してコソボ独立に協力した論理を、プーチンは逆手で利用した。ウクライナは絶対独立させない。G7でプーチンを擁護したのは安倍一人で、暗殺された。山上はケネディーのオズワルドだ。


なぜ岸田首相は襲われたか。5月の広島サミットなのだろう。核使用を禁じ手にしたらプーチンに負ける。核使用はフリーハンドだから有効。鉄パイプ爆弾が爆発したが、軍製品の手りゅう弾なら成功した。(また岸田暗殺かよ、だから警告だった。)余計なことはするなという警告らしいのだ。


それにしても赤いジャンバー伯父さんが捨て身で犯人を取り押さえた。お手柄である。完全な民間人らしい。警官がびびっているが、まだまだ善意あふれる日本は捨てたものではない。善意あふれる日本に期待したい。