続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

ベートーベン交響曲5番『運命』の構造

従来から『運命』は数学的構造に支配されているということが言われてきた。第一楽章の
提示部・展開部・再現部・終止部が「ほとんど同数の小節数をもち、非常によく部分間の均整がとれていることがわかる。」(諸井三郎)と指摘されていた。


バッハでは占星術の影響で、むしろ厳格な数字が厳守されていた。カントは天体の星座が厳格な法則に支配されて運行しているが、人間のモラルも星座の運行のように厳格な法則性に支配していると論じた。


とはいえロマン主義下のベートーベンは、バッハのように割り切ることが出来なかったが、その種の法則性に魅了されていた。第一楽章502小節は一刀両断すると、251小節に再現部が出現することになった。
正確には3小節足りないが、見事に再現部が開始しているのである。これを正確と見るか、ほぼ正確と見るか。


次に、再現部では音符はフル・オーケストラで全楽器が演奏されている。
人間の人生行路で、人生の折り返し点は30歳となり、後半生が開始される。死ぬ60歳までは人生の円熟期で偉業を成し続ける歳だ。ベートーベンもそう見ている。


穿った見方をすれば、天才ベートーベンも世に出るには3年の無駄足があったか、という後悔だったかも知れない。


そう思って見ると、『運命』の開始は意味が深い。
人間の一人の『運命』の開始は、弦楽器のか細い音に過ぎない。昨今では人間の運命は「
親ガチャ」で、親の地位や財産の有無で差が出て変更出来ないという、これまた運命論がある。だがベートーベンは、王侯貴族の子に生まれようが、農民の子に生まれようが、辻音楽師の子として生まれようが、最初は大河の一滴に過ぎないとみる。海とも山ともつかないか細い音だ。赤ん坊の泣き声に大差がないのだ。


再現部では『運命』の動機はフル・オーケストラで演奏される。天才になったベートーベンの響きである。赤ん坊では皆平等の『運命』を背負いつつ、人間30歳辺で、才能を発揮する。そうなると人間はずいぶん変わるものだ。そういうことを言っている音楽である。



余談1.
プーチンがクリミア半島を獲得したアレキサンドル3世の写真を公開した。プーチンはクリミアの軍港を99年租界にすれば停戦するという謎かけか。


余談2.
来年は東京都知事選挙で、フジテレビは橋下徹を出演し続けて、都知事に当選させるらしい。お台場をラスベガスにする。出演料が賄賂にならないのか。対抗馬は水泳の鈴木大地くらいの人気者でないと勝てない。千葉県知事選に出る気だったのに、千葉市長に横取りされた。いい玉選ばないと、橋下徹一人勝ちだ。