続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

芥川龍之介の『玄鶴山房』と黒歴史

『韓非子』に玄鶴の故事がある。春秋時代に衛の霊公が旅先の宿で琴の音を聞いて眼が醒めた。たえなる音楽に感動して、楽人を呼んで採譜させたのである。普の平公に会った時、この話をして演奏させた。平公はこれは亡国の歌で最後まで演奏してはならないといった。周の武王が殷の寸王を討伐した時追われて入水自殺をした時にこの音楽を聞いた故事が残っている。琴を一回演奏すると黒色の鶴が十六羽王門に集まった。不吉の兆しだった。これが玄鶴の故事だ。王朝の衰亡は天命が尽きた時で、存在価値が無くなったわけだ。芥川という作家の存在価値が無くなったと自覚した作品であった。


新潮合評でとりあげられて、最後に大学生にリープクネヒトを読ませているが他愛がないと酷評された。芥川は青野季吉に手紙を出して反論した。旧弊の社会と新しい社会の対立を言いたかった。新しい社会はリープクネヒトを読んでいる大学生の開明である。もっともチェーホフが『桜の園』で進歩のシンボルである大学生を二階から転落死させて彼らに期待しないとしたが、自分はそれを肯定する。進歩史観など信じない。ニヒリズムが一番いい。


宇野浩二や室生犀星は幼年期の悲惨な体験をし、それを作家の糧にした。同じ体験をしている芥川は秀才と高学歴で自己救済してしまって、悲酸な体験を作家の糧にしなかった。むしろ古今東西の古典を駆使して物語作家として一家を成したが、ここに至って芥川は自分の悲酸な体験を作家の糧にした。だから宇野は芥川の全小説の中で第一等の作だと評した。いわば芥川の私小説であった。わが恥を晒す気になった。玄鶴=黒歴史。


                   *


画家堀越玄鶴はゴム印の特許で財産を作った。(芥川はオリジナル作品がなくて、皆他人の引用で出来ている。自虐ネタであるが、うまい。)自宅は田端で(芥川もそう)、玄鶴山房の書斎がある。近所の芸大の学生が表札を読んで、「まさか厳格の洒落かね」と笑っている。女中に手を出し、妾宅を持っているので、正反対の軟派である。(ちなみに芥川の女癖の悪さも反映されている。)


資産家となり、娘の婿に銀行員を迎える。養子になるくらいだから計算高い男だ。義父玄鶴が結核なのを承諾し、感染しないように冷淡に扱う。(結核など恐れない合理主義者。)実家の父は知事をした政治家で、次男の口減らしである。正妻は病床にいて、看護婦の甲野が付いている。


一見平穏な家に嵐が吹く。24才の子連れ女が訪問する。お芳と文太郎である。女中のお芳が妊娠して、妾宅を持つた。すると玄鶴は小まめに通う。今年の冬に病で倒れると、女遊びが不可能になり、お払い箱になった。手切れ金と養育費を払う話で訪問した。


娘のお鈴は気がつかなかったが、金目の骨董を父が妾宅に運んでいた。相当財産が運ばれた。気になるのは大金を出した煎茶道具だが、お芳が返却したことで好印象になった。次に父を看病したいと言い出した。母に相談すると同意した。後で失策かと思うようになった。夫も大反対だった。決着した話を複雑にするからだ。


                   *
甲野という看護婦の人間類型の作出は、この小説で一番成功している。世にいう揉まし屋である。わざと話を複雑にして混乱させる人間である。又それを楽しみにする人間である。


相思相愛のラブラブの夫婦がいる。夫がラブホテルから出て来たと言う。信じていた妻は相手にしない。不信の種をばら撒いてやると、種が発芽する。不信という発芽に丹念に水をやり育てる人間がいる。発芽しなければ目もくれない。


玄鶴は甲野に新しい褌用に木綿六尺を用意させる。首つり用のロープだ。甲野は気づいて、中止を懇願する。自殺させないように甲野が監視し、玄鶴が監視の合間を見て自殺を実行するゲームになる。「おじいちゃん何してるの」と孫の武夫が、玄鶴がロープで首つりをする所を見られてしまう。


小説は一週間後に飛んで、病床の玄鶴がいる。首つり自殺の未遂でその後遺症で寝ているのか、結核が重症化してそれで臨終なのか、触れられない。曖昧領域も旨い。


1 首つり自殺を決意したが実行前で発見されて、死ぬことが出来なかった。結核が死因で臨終。
2 首つり自殺を実行したが絶命に至らずに発見された。蘇生させられたが、衰弱して結核で臨終。


小説は二つ通りの解釈が成り立っている。1は喜劇で1週間後には結核で死ねたので自殺の意味がない、2は悲劇で自殺から助かったが1週間後には死んだのである。看護婦の甲野には死のうが生きろうがどうでもよい。


                   *


最後に、浅ましい人間の類型が出ている。
1婿重吉の実父の政治家  憲政の神様尾崎行雄・板垣退助か。


2年配の出入りの骨董屋  贋物(フェイク)を本物で売る輩。悪辣に儲けた金持ちが簡単に騙されてしまう。玄鶴(芥川)も随分買ったが皆贋物だった痛恨が反映。室生犀星は初対面の時、高村光太郎に吉田屋の古九谷・芥川に古九谷の赤絵細密画鉢を進呈した。芥川家に赤絵鉢が今でも伝来する。金持ちで目利きだったのは藤田美術館だけだった。(当時古九谷がプレゼンできるほど安価なのが驚嘆。東京より金沢の方が文化が高かった。貧乏人の犀星が人を訪問する時は心を込めた品を持参するのが凄い。)


3悪徳弁護士  姉の夫西川豊という弁護士。芥川は借金の尻ぬぐいで悩まされた。芥川の自殺原因はこの内紛だといわれている。創作に迷いが出た上に、大金が必要だった。当時両面で攻められていた。一層死んだ方が楽になることはある。


4ある篆刻家  北大路魯山人。没年の昭和2年5月30日、文春の座残会が星ケ岡茶寮でおこなわれた。柳田国男・尾佐竹猛をゲストに迎え、菊池寛と共に芥川龍之介が聞き役で参加している。北大路魯山人を目撃したわけだ。最初篆刻家として出発して、書家・古美術家・食道楽の大家となった。岡本可亭に弟子入りしたことなど、芥川には奇異に映ったかも知れない。ともかく評判が悪かった。冷酷無比な芸術家に浅ましさを見た。