続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

1947年フルトヴェングラー復帰演奏会謎の空白日5月26日を推理する

1947年フルトヴェングラーの戦犯容疑が晴れて、ベルリン・フィルに復帰した演奏会が開催された。5月25日と5月27日の二日間であった。そして5月26日が空白日になっている。それは無意味な空白なのか。5月26日は、バージョンA(25日)からバージョンB(27日)に変更された練習日だったのではないか、という推理です。


1947年5月23日(金)
O後にフルトヴェングラーの伝記を書くカルラ・ヘッカーは練習日の見学を許されて、この日に参加した。


1947年5月24日(土)
O前日と同様のベルリン・フィルとの練習にフルトヴェングラーは参加する。


1947年5月25日(日)
Oベルリン・フィルの演奏会場になっていた映画館テイタニア・パラストに、戦後初のフルトベングラーの登場となった。


O演目は、ベートーベン『エグモント』序曲、交響曲6番『田園』、交響曲5番『運命』(バージョンA)。


1947年5月26日(月)
Oフルトヴェングラーの特別の要請でベルリン・フィルの練習が行われた。交響曲5番『運命』(バージョンA)を(バージョンB)に戻すのが目的であった。その他気がついたこまごまとした点の練習・確認があった。


O元来がベルリン・フィルが映画館テイタニア・パラストを借用契約していた会場であった。本公演を練習に使用して、契約を消化してしまった。明日の演奏会場が無くなった。多分明日のテイタニア・パラストは通常の映画館として営業された。


1947年5月27日(火)
O近年の調査で、「ソ連占領下の放送局のスタジオで観客を入れた演奏会」となった。


O演目は、25日と同様だが、いささか演奏が変えられてベートーベン『エグモント』序曲、交響曲6番『田園』、交響曲5番『運命』(バージョンB)が演奏された。


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元来が復帰演奏会は、5月25日・26日の続きの二日間であったのであろう。フルトヴェングラーは25日の演奏会で渾身の演奏を行ったが、それを反復するのではなく、修正をおこないたい気になった。


翌日26日に2回目の演奏会が予定されていたが、演奏会は中止にして急遽練習日に変えた。そして練習をおこなった。バージョンA(25日)がバージョンB(27日)に変更された。


さて、当初会場のテイタニア・パラストを二日分契約していたが、練習に使用したので、演奏会場がなくなってしまった。27日の会場にテイタニア・パラストが使用できなくなった。映画館で使用した方が利益になった。ベルリンにある会場を探したが発見出来なかった。ソ連占領下の放送局のスタジオしか発見出来なかった。そういうわけで、スタジオにオーケストラと観客が入ることになった。ラジオ局の楽団では客は極端に少ない。ラジオ放送が目的だ。しかし狭いスタジオにテイタニアパラストの観客全員を収容したとして、フルートの隣席に観客が座るという異様な光景になったようだが、その分良好な音響を録音出来たのが、27日の演奏だ。


そこで、本当にバージョンA(25日)とバージョンB(27日)の違った演奏があったのか。確かにそれはあった。


第四楽章の再現部の前で、バージョンA(25日)はなかなか凝った解釈を示したが、バージョンB(27日)では淡白に楽譜通りに演奏することに変更した。まあ25日はいささか力み過ぎた感があったのであろう。
しかし実際に聞いて見ると、フルトヴェングラーの巧みさの技巧に感動しなくもない。
192小節でわずかに間を入れて、フルートは194小節までクレッシェンドし、ディミヌエンドに転じると、200小節ではffに転じている。


204小節でfでアッチェレランドが掛けられ速くなる。その後に再現部(冒頭)のアレグロが出て来るが、フルトヴェングラーではアダージオの重たいテンポになっていて、その対比が考えられている。


27日(バージョンB)では楽譜そのままのあっさりした演奏になっている。つまり26日に急きょ本公演を中止して、練習日にして演奏の変更をしているわけだ。


ラジオ局のスタジオで観客を入れて演奏した理由も、分かる。しかしテイタニア・パラストに入った観客をスタジオに入れて消化出来るものかどうかという、新しい疑問も生まれる。