続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

サー・ジョン・バルビローリの肖像と1954年のブラ1番の名演

『サー・ジョン・バルビローリの肖像』がユーチューブに挙げられているが、つい見てしまった。ブルックナー7番第三楽章のリハーサルがあるのだが、見ものだった。バルビローリは数曲の録音があるが、7番は1966年12月11日のマンチェスターでの公演がCDになっているので、その年のリハーサル録音らしい。ハレ管弦楽団の演奏が気に入らず、執拗に冒頭のリズムを反復させている。ではこれぞブルックナーという独特のリズムをバルビローリ―は一体誰から学んだのか、が面白い。


1966年のブルックナー、世界中が難儀をしている頃だ。ハレ管弦楽団にそれをバルビローリが叩き込んでいる。バルビローリがブルックナーを理解しているのも難しい所だ。


ビデオにはハレ市の様子も映っている。有名な製鉄所の工場労働者の集団アパートも見える。ハレ管弦楽団の聴衆は彼らであった。19世紀末ドイツの製鉄工業を移籍し、ボヘミアの労働者を移民にした。彼らの娯楽を提供するためにハレ管弦楽団が作られた。ハンス・リヒターがしばしば訪れて正統的で極上のドイツ音楽を演奏した。太田黒元雄はハレを訪問し、スモッグに覆われた何の変哲もない汚い工場都市なのなが、音楽堂を訪問し黒光りのする手すりを発見した時、この街が音楽の都であることを発見した。製鉄工場の労働者が週末クラッシック音楽を愛好するために音楽堂に集まっていた証拠だからだ。工場労働者にクラシック音楽を提供する目的でハレ管弦楽団が創設されたのだった。


それを支えた指揮者がサー・ジョン・バルビローリ(1899-1970)であった。彼はハレ管弦楽団をイギリスの屈指のオーケストラに育て上げるのが目的ではなかった。世界中の第一級のクラシック音楽を第一級の演奏で提供するのが目的であった。


このビデオでバルビローリが所謂蚤の夫婦であることが知られた。妻は大女で夫のバルビローリは小男だった。タバコを吸いながらバルビローリが料理の手伝いをしているのが面白い。小男のバルビローリは台所で邪魔しているように見える。亭主関白で男女共同参画といったところか。そういえばバルビローリはチェロを弾いているが、トスカニーニも小男で、チェリストだった。二人はどちらが背が低いか。チビの巨人だ。


最後に一つ、1954年のロンドンの名物プロミスで、バルビローリのブラームス1番の伝説的名演です。
ここでバルビローリは360,362,363小節のテインパニに加筆をしています。


やはり先人の先例があるらしい。例えばトスカニーニもその一人だった。