続パスカルの葦笛のブログ

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『思想と実生活論争』とトルストイ夫人の成長史

ここでいうトルストイ夫人とは文豪トルストイの妻のことではなく、小林秀雄とトルストイの家出で論争した正宗白鳥の妻のことである。白鳥がトルストイでその妻がトルストイ夫人かどうかは、今は不問に伏す。しかし白鳥がトルストイでツヤがトルストイ夫人という関係であることは、文脈上で繋がりがある。「女は弱し、されど妻は強し」。白鳥の妻はそういう生き方をしたし、白鳥の文学上無視出来ない影響をしている。


トルストイは妻の小言にこれ以上耐えられなくなって生活が続行出来なくて、決別した。亭主関白で戦前家父長制度下の専制君主だった小林秀雄には夢にも思わない妄言だった。トルストイのような大思想家に飯炊き女の妻が影響するはずがない。


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最初は白鳥の小説『泥人形』である。イプセンの『人形の家』が評判で、女性は家の犠牲になっている。新しい女は家の犠牲にならなく、女性の権利を自覚して人形のように弄ばれてはならない。しかし正宗白鳥は最初から女は人形の家なんかではないと主張する。女はむしろ山の神ではないか。家の主ではないか。最初期からトルストイの「思想と実生活」論争に到達している。実生活を支配しているのは女である。男や夫は駒である。家という将棋盤で駒を指す棋士は妻ではないか。そういうフェミニズムの最先端にいる白鳥は妻を泥人形と呼ぶ。単価の安い無価値に等しい安物の泥人形だと新妻を馬鹿にする。そんな泥人形にやがて男は左右に動かされ、命令されてゆくのである。皮肉屋なのである。


『泥人形』は、山梨の甲州商人と呼ばれた計算高い人種の娘を妻にして、世間知を知らない女であった。家の近くに陽運寺があって霊験あらたかな地蔵尊で有名で、そんなら夫婦仲を促進したいと頻繁に参拝している。それで近所でも熱心に参拝していると評判になった。「馬鹿だね、あの奥さんわ」と噂された。陽運寺の地蔵尊は縁切寺だったのである。そういう物知らずの女が白鳥夫人だった。人形の家ではなく泥人形だが、しぶとい女だ。こんなバカ女にやがて男は駒として自由に動かされる。アンチ『人形の家』を書かせた。


大正4年白鳥は『入江のほとり』を書いた。妻が何処からか、弟の画家正宗得三郎がフランス留学をしたのだが、実家の財産分与が資金らしいと聞いてきた。平野謙説では、この夫人が白鳥の尻を叩いて、岡山まで集金旅行をしたのがこの小説である。正宗家の長男が白鳥であった。他人だから家を捨てた背信行為は知らず、莫大な資産を次男敦夫(1881-1958)が再建したことは知らない。高等小学校の学歴で甘んじたことも知らない。大金があるだけを知っている。白鳥は家を捨てたので財産分与を口に出せない。敦夫が蓄財したことを白鳥は分かっているのだ。しかし夫婦になると白鳥は夫人にネジを巻かれるのだった。金は取れ、と。小説には夫人は登場しない。ここが上手い。


折しも、白鳥は当時岡山医専教授をしていた井上通泰(1869-1941)に師事して国文学を学んでいたことを知る。学歴を気にせず慈父のように接してくれる国文学の恩師だった。半面ダーティな男で、山県有朋の諜報機関を主宰していた男で、大逆事件で冤罪で記者の白鳥を逮捕しようとした男だった。進歩派を目の敵にした右翼反動の徒だった。宿敵が恩師か、よ。これに激怒した白鳥は冷静に敦夫を扱えなくなった。怨み骨髄である。敦夫から金を奪うのに容赦がなくなった。小説に悪意が出て、面白くなる。


『入江のほとり』では、次弟敦夫は、才次と辰男の二人に分解して、薄っぺらな登場人物才次としてリアルな次弟として扱い、敦夫を辰男として狂人に扱っている。英語力が未熟で、勝手にブラックバードなどと戯言をいう。これは敦夫の国文学の能力を皮肉っているのだろう。万葉集語彙研究のことを皮肉っている。それほど白鳥は激怒していた。国文学者正宗敦夫を白鳥は認めない。


三弟の画家得三郎(1883-1962)も登場しない。四弟の律四( ー1962)も登場しない。五弟の五男は丸山家に養子になり、欠員になっているので、辰男として敦夫の別の面を描いた。辰男が実質上の主人公である。英語が出来ないで英語研究しているバカとして描かれる。旧家にたむろす六で無しの兄弟姉妹たちがいる。さながら精神病院である。列車の窓から実家の家が見える。小説外では白鳥夫妻でいるのだが、白鳥夫人の膝にはボストンバックがあり中に財産分与の一万円の現金が入っていて、今の一千万円かーそう想像して読むのが文学の楽しみで、また事実そうだった。白鳥は一人列車の席から、旧家に巣くう精神を病んだ愚者を思う。登場人物はその後一流人物に化けるのが皮肉屋の白鳥への皮肉になっている。皮肉屋・ニヒリストの白鳥が大金を手にして、俗人になってしまった。


六弟の厳敬(1899-1993)は、来年七高(岡山の旧制高校)卒業する所が小説に扱われて、その後東大理学部に進学し、台北大助教授、金沢大教授になる。


妹勝代は白鳥に東京の学校情報を聞き、東京女子大に進学し、辻村太郎(東大教授)と結婚する正宗乙末である。


白鳥が夫人に尻を叩かれ、家を捨てた身で弟が蓄財した財産の分与を獲得するといった人倫にも劣る厚面皮をする。白鳥夫人の強欲で大金を手にして、その結果『入江のほとり』という傑作までものにするのである。


『入江のほとり』モデル実在対比表
栄一   正宗白鳥(1879-1962)文化勲章・芸術院会員
才次   正宗敦夫(1881-1958)ノートルダム清心女子大教授・国文学者
ーー   正宗得三郎(1883-1962)洋画家(息子が日本興業銀行頭取)
ーー   正宗律四( ー1962)洋画家
辰男   正宗五男 養子。空席で敦夫の分身にして、悪意で描く。井上通泰が憎い
良吉   正宗厳敬(1899-1993)台北大助教授、金沢大学教授
勝代   正宗乙末(?)夫は辻村太郎(東大教授)
ーー   正宗清子
女    早世


昭和11年、『読売新聞』誌上で正宗白鳥と小林秀雄がトルストイをめぐって応酬があった。世にいう「思想と実生活」論争である。正宗白鳥は文豪トルストイが愚妻の小言に辟易して家出をしたといい、天下の大思想家が愚妻の小言如きに辟易するかと小林秀雄が反論した。(正宗家と小林家の家の違いでもある。)


若い吉本隆明は小林秀雄を支持したが、老人になってみると正宗白鳥を支持するに変更したという。大思想が生活に負ける理由がない、と小林秀雄は言う。小林秀雄を克服した吉本隆明は正宗白鳥の実生活の重要性に気がつく。夫婦という対幻想は、思想だと上野千鶴子の対幻想になるが、実生活だと『共同幻想論』の対幻想になる。夫婦相和す対幻想が国家の起源だからこそ、国家 は有用になるが、そうでなかったら無政府主義が理想になる。特許事務所を首になった無職の吉本隆明を養う妻の献身こそが共同幻想である。何処の馬の骨ともわからない無職の夫を養う妻の対幻想と、こんな妻と結婚してしまったという老トルストイの対幻想・上野千鶴子の対幻想論が対立する。


映画監督大島渚が脳出血で半身不随になり、晩年女優小山明子の介護を受けることになった。長男はそれを見て、「俺の奥さん、ママのように俺を介護してくれるかな」と心配になった。「多分あなたが奥さんを裏切ることをしなかったら、そうしてくれると思うわよ」と小山明子がいったという。大島渚は小山明子を裏切らなかったらしい。吉本隆明の『共同幻想論』の対幻想の解説をいただきました。国家成立を前提とする対幻想とは、男女の損得でない対幻想であった。理想の国家は国家の方から福祉をさしのべる。吉本は妻の献身をそう読んだ。始終夫婦喧嘩をしていた上野千鶴子の父母・対幻想はそうなるわな。