続パスカルの葦笛のブログ

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小沢征爾指揮日本フィルのベルリオーズ『幻想』1967年

若き日の小沢征爾の指揮振りを見ると、芥川賞作家羽田圭介の顔そっくりなのに驚いた。テレビ東京のローカル線各駅停車バスの旅でお馴染みの羽田圭介の顔が思い出される。小沢32歳、羽田37歳同じような年ごろだ。まだ初々しい青年といっていい小沢青年の顔。


小沢は前年(1966年)トロント交響楽団で録音し、翌年(1967年)日本フィルでベルリオーズの『幻想』を指揮した。ユーチューブで「5楽章魔女の祝日の夜の夢」が公開されている。


演奏はトロント交響楽団より日本フィルの方がはるかに素晴らしい。32歳の小沢征爾、完璧に才能は発揮されている。しかし日本はその才能を評価出来なかったのだ。音と指揮の完全な一致、ごう慢といえる面相は才能の発揮なのだが、単なるごう慢と見えたか。今更のように32歳の小沢征爾の才能に驚かされる。


第五楽章。
日本フィルの演奏では、小沢はテインパニを3つの音をf・mf・pに分けているのに驚く。
下の低弦で、日フィル・トロント交響楽団も最後の16音符にアクセントを付けて間を強調しているのは共通している。上のテインパニにf・mf・pに打ち分けさせているのは日フィルに軍配が上がる。


面白いのは6小節のトロンボーンで、下降音型を小沢はジェスチャーで階段を下りる振りをしている。音と絵(ビジュアル)を一致させているのだ。恋人を殺した青年が死刑台の階段を降りているだ、と小沢は思った。
小沢征爾の画像は見ものである。冷静に見れば、この山場を見ることが出来るのは楽団員だけなのだが、テレビ時代で聴衆も見れる。この当時は何でも音を指揮で表現出来る自信に満ちていたのだな。「ここは階段を降りる」のを表現しているのだ、と。


11小節のホルンで、その前のフルートでは楽譜はグリッサンド(離れた2音階を急速に滑るように演奏する)記号が付いていて、ホルンにはそれがない。
小沢征爾は日フィルのホルンに極端なほどグリッサンドを強調して演奏させている。ここがこの演奏の頂点かも知れない。


トロント交響楽団の演奏では素っ気なく素通りしている。多分楽譜ではフルートでは有りホルンでは無いのはベルリオーズはそういう指定なのだろう。


だが小沢征爾は違う。G記号の無いホルンにこそ強調したい。若き日の小沢征爾はそういう太々しさがあった。凄い才能だ。


239-240小節のコルネット、他はタイ記号が付いていて、一塊りの音になるのだが、小沢征爾は何故コルネットにそれがないかと考える。


ここに注目して、むしろ2つの音に分けて演奏させる。2つテヌートで演奏させた。
一塊りの音が2つに分けられるので、一瞬テンポが落ちるのだ。後に、これはやり過ぎと考えたので、日フィルの一回限りの試作となった。しかし今聞くと、音の踏ん張りでもあり、テンポが落ちる所が心地よいようにも聞こえて、なかなか良い。一期一会の名演ではないか。日フィル1967年の演奏はこの芸の細かさで白眉なのだろう。


小沢征爾の『幻想』は何種類もあるわけだが、1967年日フィルが唯一の傑出した稀な演奏となった次第である。