続パスカルの葦笛のブログ

FMラジオやテレビやCDのクラシック音楽の放送批評に特化したブログです。

世田谷左翼の正体

高級住宅地の住民が意外に政治的には革新派で、左翼行動をとる。選挙では保守政権に反対する投票行動をする。分析すると保守政党を支援する一流企業の正社員で、丸の内や六本木にある高層ビルに本社があるサラリーマンである。


保守論壇では、一見すると正反する行動に理解ができかねている。彼らは資本主義社会を肯定して、明白に資本主義社会の果実を一番大きく獲得して利益を享受しておきながら、何故政治行動となると、それとは正反対の革新派に投票するのか。その矛盾した政治行動が分からない。


アメリカやイギリスですら、教員組合は政府に批判的な立場を取るらしい。だから日本の教職員組合の逸脱した政治的立場は、強弱の色彩の差はあるが、一貫して反政府的な立場にあるのは普通なのだという。


余談だが、教員は定年退職すると完全に教員同士の付き合いはしない人種だと言われている。教師には友達がいない。意に反した付き合いをするので、定年退職後も彼らと交際する気はサラサラない。ましてや先輩や同僚が死んで葬式をすると、一番貧弱な葬儀が元教師の葬式らしい。参列者が無いのだ。香典も集まらない。教員は現職時代、自分の心を殺して、上司や同僚と和やかに付き合う。その反動で、仕事を辞めてからも、付き合う気はない。孤独でもあるが、反面はインテリ集団なのだろう。


さて、全共闘世代が大学卒業が迫ると、学生運動をやめて、一流企業に就職をした。そこで企業戦士に転向して資本主義の戦士になった。学生運動も企業戦士も同じようなものだった。違うのは自分の意志でやめられないことだった。本気で企業戦士に生まれ変われる者は幸福だった。サラリーマンになって辛いのは、自分の意に反して、企業の意に沿うことだった。


セキスイのように自分は法規通りに粛々と進めて行きたいが、社長の眼が省略して商談成立を求めている。三菱自動車のように地道な研究による品質向上ではなくデーター改ざんによく向上を求める。どうも企業は易きに流れた。地道な積み重ねが排除された。サラリーマンは、人によっては気楽な稼業だったが、人によっては気楽な稼業ではなかった。自分の意に反して企業の意に沿うことになった。


定年退職となり、年金生活に入った。庭のある一戸建ての自宅があり、平均以上の年金が貰える。豊かな年金生活が始まった。会社の威圧も無くなった。そんな時、ふと社会は法規通りに動いた方がいいと思うようになる。サラリーマン時代に達成出来なかった不満が過った。本棚にいまだに放棄しなかった羽仁五郎の『都市の論理』があるのが目に止まった。学生時代に共感した社会主義が、40年枯れた樹木に新芽が発芽した。