続パスカルの葦笛のブログ

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オーバードーズ文学の先駆者尾崎翠とその脱出記

   群ようこ『尾崎翠』伝、残念ながらオーバードーズの問題意識がなく、
   単なる文学表現としか第七官界を見ていない。


尾崎翠(1896-1971)は常用薬物で幻覚症状におそわれる。幻覚症状と頭痛と耳鳴りに悩まされる。その中で暗中模索で探し求めたのが幻想的な事物の去来であった。それを熱心に書き集めた、手掛かりの無い事物の捜し求めた世界が、第七官界という世界(オーバードーズ)であった。


尾崎翠はやがて発狂するか、身体が破滅するかの間際で、家族によって鳥取の故郷に戻される。他者の手で文学の世界から解放されると、尾崎翠は見る見るうちに健康体に復帰する。文学界の新人として新しい文学の旗手と目された尾崎翠は、故郷鳥取で只のおばさんとして再生する。


戦前、戦中、戦後を生き抜き、昭和33年文芸評論家の岩谷大四によって芥川賞作家の第三の新人より前に同じ作風の作家尾崎翠がいたと言及される。それで一寸した尾崎翠ブームが起こって再評価された。今も尾崎翠は鳥取で生きていると、当地のNHKが取材した。「もう作家ではない」と取材を拒否した。小説家に未練がなかった。それが尾崎翠を完治させたのだった。


昭和44年、高血圧と老衰で病院に入院し、死去した。74歳であった。文学全集で『第七官界彷徨』が再録され、本格的な再評価がおこなわれた。作家尾崎翠の作品は現在では並み寄る大作家と現役である。その作品は全て戦前の作品だった。


故郷鳥取に帰り、創作活動から引退した。只の人として生きることに専念した。日本女子大学の同級生に、宮本百合子・網野菊・湯浅芳子・村山リウがいた。今は尾崎翠だけが現役作家である。これら同級生の肩に並ぶことすさ困難なことであろう。その文学活動のストレスが尾崎翠という存在を押しつぶす。最悪の状況の中で尾崎翠はもがき苦しむのだった。


「文学は人を殺すよ」と正宗白鳥が言った。干刈あがた・森瑤子・山本文緒が文学に殺された。高樹のぶ子が勝利して何故千刈あがたが敗北するのかが許せなかった。見舞いを拒否された。小説に埋没することで家事を疎かにし離婚された。やがて体を蝕んだ。何故栄光ばかりが高樹のぶ子に射すのだ。嫉妬と慙愧の中に挫折して死んでいった。才能が有り才能が無いと片づけることも出来る。文学にはそういう容赦のない残酷さがある。


群ようこ『尾崎翠』には、尾崎翠が東京に出て作家活動に意欲があつたと書いている。日本女子大学の才女に囲まれて、薬漬けの中での創作活動に復帰する意欲はなかったのだろう。恵まれた文学的才能は、オーバードーズによる幻覚でしかなかった。命あっての文学であって、文学と心中する気はなかった。


貧しい生活の中でユウモア小説の肩の凝らない軟弱文学を読んで楽しむ晩年であった。文学と離れて日々の生活をするのに何の不満もなかった。
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さて、オーバードーズとは直訳すると市販薬の過剰摂取による健康被害で、これをうまく文学表現に特化させたのだった。尾崎翠も『第七官界彷徨』で引用しているが、オスカー・ワイルドはコカイン中毒を文学として利用した。尾崎翠は最初は煙草で代用したがその酩酊気分は希薄で、頭痛鎮痛剤のミグレミンに行き詰めた。ここがミソで、ワイルドのようにコカインでは背徳的で、誰でもが使用している鎮痛剤を過剰摂取することで、手に入れられる幻想的世界の魅力性に着目した。尾崎翠は自分が最初に認識し、自己命名した幻想世界を『第七官能世界』と呼んだ。その知られざる幻覚の世界を霊媒師よろしく追体験したあの世の報告書であった。そこが画期的な新しい文学となった。


誰も書けなかった尾崎翠だけが書けた独自な文学世界だった。


宇野浩二にはその匂いがする。しかし宇野は精神病院に直行してしまった。完治してしまって、それを忘れたことによって精神病院を退院した。


尾崎翠が凄いのは霊媒師の交信を数々行為しながら、それを記録したことだ。


自分を地上から消してしまいたい。精神的苦痛から逃げたい。死にたい気持ちを胡麻かしたい。その効果を楽しんで終わるのが普通の人だが、尾崎翠はそれを記録していたのだった。辛くて又飲んでしまう点では、尾崎翠は普通の人と変わりはない弱い人だった。


杉村春子は知人の葬儀に参列して、未亡人の所作を冷徹に観察した。何時か未亡人の役が来たら、そう演じたい。普通の人は幻覚を楽しんで終わるが、尾崎翠は幻覚を記録したかった。作品に利用したかった。作家の強さがあった。


もうこれ以上東京にいて小説など書いていたら駄目になってしまう。そんな時体を心配した家族が故郷から上京して、尾崎翠を鳥取に戻した。破滅型小説家の宿命から尾崎翠は救われた。それで安泰では済まされなかった。


尾崎翠は56歳の時に突然フラッシュバックに襲われた。幻覚症状が現れ、耳鳴りが激しくなり、半年も入院した。病気の記憶を覚えている身体が、思い出したように病状を再現して、あの時に戻るように薬物を要求したのだった。冷静になり沈着になることで病状が沈静化していった。もう体は薬物幻想を要求することはなかった。人間は体の中に鵺(ヌエ)のような度し難い生物が支配しているという思想があるが、無下に否定できない。


以後は尾崎翠は落ち着いた生活に戻った。74歳の天寿を全うした。ちょっと侘しい晩年ではあったが、普通の人の晩年ではある。